映画「アンビュランス」は、間違いなくジェイク・ギレンホールの演技です。彼が演じる犯罪者ダニーは、常軌を逸したハイテンションで画面を支配します。
ギレンホール演じるダニーは決して品行方正な役柄ではない、むしろ観客が眉をひそめるような判断を繰り返すキャラクターを、不思議な魅力で包み込みました。彼の眼光、身振り、そして狂気じみた笑顔は、脚本の矛盾や論理破綻すら覆い隠してしまうほどの吸引力を持っています。実際、この映画が2時間以上にわたって観客を画面に釘付けにできたのは、ギレンホールの圧倒的な存在感あってこそでしょう。
一方、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世が演じるウィルは、ダニーとは対照的な「良心」の役割を担います。彼の誠実さと葛藤が、物語に必要な道徳的アンカーとして機能しました。特に、救急車内で人質となった警官を「生かさなければ罪が重くなる」という理由で必死に救おうとする姿には、この混沌とした状況下でも人間性を失わない強さが感じられます。
そして意外な収穫だったのが、エイザ・ゴンザレス演じるEMTキャム・トンプソンです。当初は「ベイ映画お馴染みのヒロイン枠」かと思いきや、彼女は単なる添え物ではありませんでした。時速100キロで疾走する救急車内で、負傷した警官の胸を切り開き、ゴルフ場からFaceTimeで指示を出す医師たちの助けを借りながら命を繋ぐシーンは、本作屈指の緊張感を生み出しています。キャムは物語の心臓部であり、観客が感情移入できる唯一の「まともな人間」でもありました。
革新的映像技術と過剰な演出のせめぎ合い
マイケル・ベイが本作で導入したFPV(一人称視点)ドローン撮影は、まさに革命的でした。VRヘッドセットを装着した操縦者が、まるでゲームのように超高速でドローンを操り、ビルの側面を駆け上がり、急降下し、車内にまで侵入する――これまでのアクション映画では不可能だったアングルが、次々と画面を彩ります。
特に印象的だったのは、ダウンタウンLAの高層ビル群を縦横無尽に飛び回るシーンです。カメラは建物の壁面すれすれを上昇し、頂点に達した瞬間、一気に地上へと急降下します。その圧倒的なスピード感と高度差は、思わず目眩を覚えるほどでした。これぞベイ監督が目指した「観客を行動の渦中に放り込む」映像体験だったのでしょう。
しかし、この革新性には代償もありました。ベイ監督はドローンという新しいおもちゃを手に入れた子供のように、過剰なまでにこの技術を使い倒します。会話シーンですら、カメラは登場人物の周囲を回り続け、一瞬たりとも静止しません。確かにこれは緊迫感を演出する手法ですが、136分間ずっと続くと、正直疲弊してしまいましたね。
物語構造の矛盾と娯楽性のジレンマ
『アンビュランス』の物語構造は、実にシンプルです。銀行強盗が失敗し、救急車で逃走する――たったこれだけです。オリジナルのデンマーク版が80分で完結させた物語を、ベイ版は136分に引き延ばしました。
本作は2005年のデンマーク映画『Ambulancen(アンビュランセン)』のリメイク作品です。 オリジナル版はローリツ・アクセル・アスベック監督によるタイトな犯罪スリラーで、上映時間はわずか80分。二人の兄弟が、死にゆく母親の医療費を工面するために銀行強盗に手を染め、逃走中に救急車を奪うという骨子は同じですが、ベイ版ではいくつかの重要な変更が加えられています。
終盤、ダニーが「とっておきの脱出プラン」として救急車を緑色にスプレーペイントするシーンには、首を傾げざるを得ませんでした。一体何の意味があったのでしょうか? ヘリコプターや無数のパトカーに追跡されている状況で、車体の色を変えたところで何が変わるというのか。この手の論理破綻は、残念ながら全編を通じて散見されます。
冒頭から、登場人物たちの行動は不可解です。FBI最重要指名手配犯のダニーが、顔も隠さず銀行強盗に参加し、窓ガラス越しに堂々と姿を晒す。ベテラン犯罪者が集めたはずの強盗団は、防弾チョッキすら着けていない素人集団。警官が銀行のドアを叩き「彼女とデートしたいから入れてくれ」と頼むと、ダニーは「怪しまれないよう」に警官を中に入れる――結果、ガラス越しに強盗が露見するのですから、本末転倒です。
さらに苛立ちを覚えたのは、追跡するFBIとLAPDの判断です。「負傷した警官が乗っているから、救急車を止められない」という理由で、何十台ものパトカーを爆破し、無数の市民を危険に晒します。映画終盤、救急車が時速30キロまで減速する場面がありましたが、それでも追跡を止めません。スパイクを撒けば簡単に停車させられるはずなのに、です。極めつけは、FBI無線担当者が「自分の犬が追跡車両に乗っている」という理由で、作戦中止を命じる場面でしょう。娯楽映画とはいえ、ここまで論理を無視されると、さすがに興醒めしてしまいます。
キャラクター造形の不安定さ
もう一つの大きな問題は、主要キャラクターの一貫性のなさです。
ダニーは当初「銃が嫌いで、暴力を好まない」人物として描かれます。強盗前、ウィルが「この銃は?」と尋ねると、ダニーは「ただの脅しさ。俺は銃が嫌いなんだ」と答えます。しかし物語が進むにつれ、ダニーは次第にコカイン中毒者のような狂気を見せ始め、平然と暴力を振るうようになります。
一方のウィルは、元海兵隊員として「暴力に慣れた男」のはずが、途中から「良心的で暴力を嫌う」キャラクターへと変貌します。この二人の性格は、まるでシーンごとに入れ替わるかのように揺れ動き、観客は誰に感情移入すべきか分からなくなるのです。
脚本はこの兄弟の絆を物語の核に据えようとしています。幼少期から支え合ってきた二人が、極限状態で改めてその繋がりを確かめる――これは感動的なテーマのはずでした。しかし、キャラクター描写が定まらないせいで、その感動は中途半端に終わってしまいます。もっと尺を削り、この兄弟関係に焦点を当てていれば、あるいは本作は真に心を打つ作品になれたかもしれません。
ベイ流ユーモアの空回り
マイケル・ベイ作品の特徴の一つに、「フラットボーイ的ユーモア」があります。本作も例外ではなく、随所にジョークが散りばめられていますが、残念ながらそのほとんどが空振りに終わっています。
特に奇妙だったのは、ベイ監督自身の過去作への言及です。ある場面で、二人の登場人物が車内で「ザ・ロック、知ってる?」「俳優の?それともレスラーの?」と会話を始めます。その10分後、別の警官たちが「俺たちまるでバッドボーイズだな」と口にするのです。
これは監督による自己言及的な「ウィンク」のつもりなのでしょうが、実に居心地の悪いものでした。ファンサービスのつもりかもしれませんが、むしろ「ベイ監督は自分の映画を引き合いに出して、ドヤ顔しているのではないか」という印象を与えてしまいます。こうした小ネタは、もっと控えめに、あるいは全く入れないほうが良かったでしょう。
また、若手警官が年配の上司を「ブーマー(団塊世代)」と呼ぶ場面もありますが、その俳優は実際には40代半ばです。キャスティングミスなのか、脚本の詰めが甘かったのか、いずれにせよ笑いを誘うには至りませんでした。
中予算アクションの希少価値
本作を評価する上で忘れてはならないのは、「中予算アクション映画」としての希少価値です。
現代ハリウッドでは、大作は2億ドル超の超大作か、1000万ドル以下の低予算作品に二極化しています。かつて90年代に隆盛を極めた「4000万〜8000万ドル規模のアクション映画」は、ほぼ絶滅状態です。そんな中、ベイ監督は4000万ドルという予算で、画面上では億ドル級に見える破壊と興奮を提供してくれました。
『スピード』(1994)、『ザ・ロック』(1996)、『アルマゲドン』(1998)――これらの名作と同じ土俵に立とうとする姿勢は、評価に値します。実際、救急車内で負傷者の命を繋ぎ止めるという設定は『スピード』を、兄弟の絆と強盗という構図は『アーマード 武装地帯』を彷彿とさせました。
ただし、本作はこれら先達と比べると、明らかに脚本の練り込みが不足しています。『スピード』は90分という尺で無駄なく物語を完結させましたが、『アンビュランス』は136分もかけて同じ「逃走劇」を描き、しかも冗長さを感じさせてしまいます。
まとめ:爆発と矛盾が共存する、ベイ流娯楽の到達点
『アンビュランス』は、マイケル・ベイというフィルムメイカーの長所と短所が、まるで救急車内の負傷者と救助者のように、一つの作品内で激しくせめぎ合う映画です。
ジェイク・ギレンホールの怪演、革新的なドローン映像、実践的なスタントワークによる爆発と激突の数々――これらは間違いなく「ベイ映画」の醍醐味です。90年代の血沸き肉躍るアクション映画を愛する観客にとって、本作は確かに楽しい時間を提供してくれるでしょう。
しかし同時に、論理破綻だらけの脚本、キャラクター造形の不安定さ、30分以上の冗長な尺、そして空回りするユーモア――これらの欠点もまた、ベイ作品に付きまとう宿痾です。
結局のところ、『アンビュランス』をどう評価するかは、「あなたがマイケル・ベイに何を求めるか」次第でしょう。爆発と破壊の祝祭を求めるなら、本作は期待に応えてくれます。論理的整合性や洗練された脚本を求めるなら、残念ながら期待外れに終わるでしょう。
ただ一つ確かなのは、ハリウッドでこうした中予算アクション映画を作り続ける監督が、もはやベイ以外にほとんどいないという事実です。その意味で、本作は貴重な存在であり、欠点も含めて「ベイ映画らしさ」を堪能できる一作と言えるかもしれません。





