『ゴーン・ガール』はギリアン・フリンの小説を原作とし、デヴィッド・フィンチャーが監督したスリラー映画です。物語は、妻エイミーの失踪を巡るミステリーから始まり、夫ニックの演技とメディアの影響が描かれ、やがて彼の虚構の中で浮かび上がる真実が観客を引き込みます。物語の全体を通じて、演じること、メディアの操作、個人の問題が社会的な問題に変わる様子が緻密に描かれています。
- 原題
- Gone Girl
- 公式サイト
- https://www.20thcenturystudios.jp/movies/gone-girl
- 上映日・配信日
- 2014年12月12日
- 監督
- 登場人物
- 配給会社
ここがおすすめ!
- ベン・アフレックとロザムンド・パイク。主演2人の演技は必見です。
- 物語の前半はミステリー、後半はスリラー色の強い作品です。一つの作品で2倍楽しめます。
- さりげない場面に張り巡らされた伏線に注目です。
- 思いもよらない展開に驚かされます。
あらすじ
『セブン』『ドラゴン・タトゥーの女』の鬼才デヴィッド・フィンチャーが描く男と女の刺激的サイコロジカル・スリラーあなたはこの衝撃の展開に耐えられますか!?5回目の結婚記念日に姿を消した妻ダイニング居間の大量の血痕 妻の日記 結婚記念日の宝探しのメッセージ エイミーに何が起きたのか―
Amazon Prime Video より引用しています。
原作はギリアン・フリンの小説『ゴーン・ガール』
原作はギリアン・フリンの小説『ゴーン・ガール』です。上巻下巻の2部構成で、NYタイムズベストセラーの第1位を獲得しています。原作者のギリアン・フリンは2006年に『KIZUー傷ー』で小説家デビューしました。映画の『ゴーン・ガール』では自らが脚本を担当しています。
※以下、物語の重要なポイントに触れています。未鑑賞の方はお気をつけください。
デヴィッド・フィンチャー監督ならではスリラー
本作の監督を務めたのは、『セブン』『ゾディアック』『ドラゴン・タトゥーの女』などで知られるデヴィッド・フィンチャーです。彼の作品に関して一見られる特徴は、何気ない日常の描写の中に、じわじわと不穏な空気を忍び込ませる巧みな演出にあることだと思います。
そんな彼の手腕は『ゴーン・ガール』でも遺憾なく発揮されています。それは物語の序盤、妻エイミーは日記を通じて「完璧な妻」としての自己像を語りますが、それはやがて観客を欺くための仕掛けだったと明らかになります。この構造は、「理想のパートナー像」がいかに作為的な演出や演技によって成立しているのかを示し、人間関係の外見と内面に鋭く切り込んでいます。
また一方、夫ニックもまた「妻を失った悲劇的な夫」として振る舞いますが、実際には若い学生と不倫しており、その姿は献身的な夫という仮面をかぶった偽りの人格に過ぎません。
そして物語が進むにつれて明らかになっていく2人の冷えきった関係、そしてお互いを欺く心理戦。それらを描くフィンチャー監督の冷たい映像美と緻密なストーリーテリングによって、いつの間にか作品世界に引き込まれていきました。そこにフィンチャー監督ならではのスリラーが際立ち、しかしそれは大げさな演出ではなく、静けさの中に潜む不安や、表情の裏にある本音と狂気を丁寧に魅せていました。
1つの作品で2倍楽しめる
『ゴーン・ガール』は前半と後半で、違ったジャンルの物語として描かれています。物語の前半は妻エイミーの失踪の謎を解き明かすミステリー、後半は身近な人間が主人公を脅かすスリラー映画として楽しむことができます。
物語前半のミステリー部分は、エイミーの捜査に協力する夫ニックの視点と妻エイミーの残した日記の視点、二つの視点で描かれています。しかし、ニックの捜査員に対する供述とエイミーの日記の内容には矛盾があります。この矛盾により、エイミーの失踪がより不可解なものとなっていきます。
物語後半では、エイミー失踪の謎が解明し、「ニックの供述」と「エイミーの日記」の矛盾も解消します。後半を見終わったあと、はじめから見直すことで新たな発見があり、『ゴーン・ガール』をもう一度楽しむことができます。
主演2人の演技

夫のニックを演じているのは、アメリカの俳優ベン・アフレックです。妻のエイミーはイギリスの女優ロザムンド・パイクが演じています。
『ゴーン・ガール』では「演じること」が重要なキーワードになっています。物語の前半、ニックは「思慮深い紳士」を演じ、物語の後半では、「愚かな夫」を演じています。
ニックは「思慮深い紳士」を演じようと誰からも好かれるいいやつになろうとしますが、いいやつになろうとするあまり、妻が失踪中にもかかわらず笑顔で写真撮影に応じてしまいます。
ニックは、この笑顔の写真とさまざまな状況証拠により、疑惑の目を向けられます。疑惑の目を向けられ、一度は絶体絶命のピンチにおちいるニック。物語の後半、彼はこのピンチを「愚かな夫」を完璧に演じることで切り抜けます。
これに対して、エイミーは物語前半では「ニックの求めるいい女」を演じ、物語後半では「理想の妻」を演じています。
主演の2人はそれぞれ、「演じる夫」と「演じる妻」を演じることになります。この2人の「演技をする」演技によって、物語がより深みのあるものになっています。
メディアによる真実よりも脚色された物語
本作で見逃せないのは、TVレポーターやニュース番組など、メディアに関わる人物たちが個人間の問題を脚色された物語として動かす重要な役割を果たしている点でしょう。特にニックが失踪事件の容疑者として世間にさらされる過程では、「真実はどうたったのか」ではなく、「視聴者にどう見えるか」がすべてであることが如実に描かれています。
物語が進んでいくとエイミーの失踪が彼女自身の策略だったことが明らかになりますが、メディアはニックの不倫や曖昧な態度がセンセーショナルに報道し、彼は一気に「全国的な悪者」へと仕立て上げられていきます。記者会見で笑顔を見せたという些細な振る舞いすら、サイコパスの証拠として拡大解釈され、世間では「悪い夫」対「美しい被害者」という分かりやすい構図が形成されてしまいます。
事件の核心に迫るような実際の証拠や背景はそっちのけで、メディアはニックとエイミーの夫婦関係を感情的に訴える物語として消費していきます。真実を報道すべきメディアが、いかにして娯楽的なドラマへと変貌しうるかという現代的な警鐘でもあります。
それは本来であればニックの不倫という私的な問題に過ぎなかったものが、メディアに晒された瞬間から社会的問題へと転化し、二人の人生そのものが崩壊していく。この構図は、個人の過ちがメディアによって糾弾され、いわば公開処刑のように拡散・消費される現代社会の病理を描いています。
物語が終盤に近づくにつれ、ニックとエイミーは互いに「カメラの前での自分」を意識しながら生活するようになります。エイミーが悲劇のヒロインとして帰還し、世間から称賛を受けるシーンは、現実と虚構の境界が完全に曖昧になった象徴的な瞬間です。
そこではもはや、「真実」であるかどうかは問題ではありません。重要なのは「どう見せるか」であり、真実は演出に負け、後回しにされてしまう。本作は、メディアと世間がいかにして事実を物語に変換し、それに人々が踊らされてしまうかを冷静に、しかし強烈に批評しているのではないでしょうか。

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このページではAmazon Prime Video Jpで配信中のゴーン・ガールから執筆しました。
Amazon Prime Video Jpで配信されている「ゴーン・ガール」のあらすじ、感想、評価を紹介しました。気になる方は、ぜひ下記URLのAmazon Prime Video Jpからチェックしてみてください!
Amazon Prime Video Jp ゴーン・ガール他にもAmazon Prime Video Jpの作品レビューを書いています。
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