劇場アニメ「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女」を一言で表現するなら「精神を病んだ青年が操縦する、暗黒の『トップガン マーヴェリック』」でしょう。
終盤、主人公ハサウェイが駆るΞ(クスィー)ガンダムと、連邦軍レーン・エイムが乗るアリュゼウス(量産型νガンダムをコアとした試作機)との空中戦は、まさに『トップガン』のドッグファイトを彷彿とさせます。一人称視点のコックピット描写、ミサイルロックオンの警告音、フレアやミサイルが飛び交う緊迫感は、航空戦闘アニメとして一級品でした。
本作の村瀬修功監督の手腕が最も光るのがこの戦闘描写で、ミサイル一発一発の挙動を丁寧に追い、回避の一挙手一投足を克明に描写します。高速戦闘でありながら、モビルスーツの「重さ」を感じさせる演出は秀逸です。地球の重力に引っ張られているかのような、ずっしりとした質量感が伝わってきます。
特に印象的なのは、コックピット内のモニター表示です。全方位カメラ、ミサイルロックオン警告、敵機の位置情報が臨場感を圧倒的に高めています。このシーンは、まるで自分がコックピットに座っているかのような錯覚に陥ります。ただ結構酔いますね。
暗い画面については賛否がありますが、これはビーム兵器の威力を際立たせるための演出です。闇の中を切り裂くビームの光、フレアの閃光、爆発の輝きが暗闇だからこそ生きるのです。
また、序盤のオエンベリ戦の後、中盤のアリュゼウス戦まで戦闘シーンがなく、中盤がずっとヒューマンドラマになっていたため、バリアントを撃沈したところの遠方戦を少しでも描いて欲しかったという気持ちもあります。原作と同じくケネスが「マフティの船を撃沈した」と一言言っただけなので、中盤に少しでも戦闘を挟んでくれたらメリハリがついたのではないかと思います。
とはいえ、戦闘シーンの完成度は極めて高く、何度でも見返したくなる面白さです。トップガンファンとしては、序盤でギャルセゾンがバリアントを囲んで飛ぶシーンには心惹かれるものがありました。
不完全な主人公ハサウェイ――肉欲と大義の狭間で
リーダーに祭り上げられた青年
本作を観て、ハサウェイの行動がよく分からないと感じた方もいるのではないでしょうか。リーダーとして組織を率いているはずなのに、どこか迷いがある。一人の女性ギギの存在に心を乱され、判断が揺らいでいるようにも見える。主人公として頼りない、威厳がないと感じた方もいるかもしれません。
しかしだからこそ、本作の核心があると私は考えています。
ハサウェイはマフティー・ナビーユ・エリンという組織の顔です。しかし彼は、最初からリーダーを目指していたわけではありません。本作の回想シーンでも描かれたように、ハサウェイは植物監査官候補生として研修を受けていた時期に、クワック・サルバーという人物と出会い、マフティの活動に引き込まれていきました。これはコミック版(小説を元にしているのでクェスの最後が映画と違います。)が詳細が描かれています。

本作の回想シーンで特に強い印象を受けたのが、ケリア・デースとの出会いです。植物監査官候補生として地道に研修を続けていたハサウェイが、ケリアと出会い、彼女を主治医として心の傷を癒していった時間が、断片的に映し出されます。ケリアはハサウェイにとって「普通の人間として生きることができた唯一の時間」の象徴でした。
しかしそこに入り込んできたのが、クワック・サルバーという人物の存在です。クワックはまるで新興宗教の教祖のように、ハサウェイの罪悪感と正義感に巧みに入り込んでいきます。特権階級政策の矛盾、マンハンターによる弱者の排除を次々と耳打ちすることで、ハサウェイの心に革命の火を灯していったのです。
学生運動が新興宗教めいた熱狂へと転化していく過程は、現実社会の運動が持つ危うさとも重なり、非常にリアルな説得力を持っていると感じました。ケリアはただそんなハサウェイを傍で見守りながら、マフティの重圧から解放させてあげたいと願っていたのです。

肉欲という煩悩からの解脱
本作では「肉欲」という言葉がキーワードになっていますが、これは肉欲ある普通の一人の青年が、クエスを殺してしまったという罪悪感から「世界を変えなくてはならない」という責務を負ってしまったことに対しての葛藤を表す言葉になっているのではないでしょうか。
ハサウェイは25歳前後の青年ですが、その精神は決して安定していません。かつて『逆襲のシャア』で、初恋の人クエスを失ったトラウマが彼を苛み続けています。クエスの亡霊が現れ、「死者の世界へ来い」と誘う幻覚を見るほどです。
そんなハサウェイの前に現れたのが、ギギという謎めいた少女でした。彼女に強く惹かれるハサウェイですが、同時に元恋人のケリアという女性もいます。さらに、マフティーの整備士ジュリアはトップレス姿で誘惑してきます(原作では完全にトップレスですが、映画版ではエプロンを着用)。
元恋人のケリアとの過去が一瞬映し出されていましたが、ケリアはただハサウェイと幸せになりたいだけだったのに、ハサウェイはクエスの追い目からマフティとなり、自分から離れていきます。ケリアはハサウェイと久しぶりに会いましたが、マフティの重圧から解放させてあげたいという考えです。一方、ケリアが食事をする音を聞いただけで耳障りに感じてしまうハサウェイ。こういった咀嚼音とハサウェイの嫌がる表情だけで、二人の関係が終わりを告げていることを視聴者に一瞬で理解させるような演出が、すごく印象的でした。
終盤の戦闘シーンで、ハサウェイはアムロの幻影と対話します。「そんなのは言い訳にならない、ハサウェイ」――最初はアムロの声だったこのセリフが、最後にはハサウェイ自身の声に変わります。これは、ハサウェイが自分自身と対峙している場面です。理想を掲げて戦い続けたアムロと、その恋人を殺してしまった自分。この罪悪感と矛盾が、ハサウェイの精神を蝕んでいるのです。
魔女ギギが織りなす、心象の変化とファッションの魔術
副題『キルケーの魔女』が示す通り、本作の鍵を握るのはギギ・アンダルシアという謎めいた少女です。
ギリシャ神話に登場する魔女キルケー(もとは魔女(ニュンペー))は、男たちを魅了し、豚に変えてしまう存在でした。ギギもまた、ハサウェイとケネスという二人の男を翻弄します。彼女には未来予知にも似た「直感」があり、危険を察知したり、相手の嘘を見抜いたりする不思議な力を持っています。
ギギの心象風景とファッションの変化
本作では、ギギの心の移り変わりが、セリフではなく表情や仕草、そして何よりもファッションの変化によって丁寧に描かれています。これはまさに「ギギのファッションショー」とも言える見どころです。
序盤、リゾート地のコテージで優雅にくつろいでいたギギ。情報も統制された閉ざされた世界で、何不自由ない生活を送っていました。しかし香港に行ったら行ったで、マウンテン・ウォンが運転する白爵に提供してもらった大豪邸で、使用人をすぐに首にして内装を総入れ替えするという愛人としての仕事をこなします。
愛人として暮らしていれば何一つ不自由しない世界。しかしその豪華な暮らしの中で、ギギはたった一人で寂しい人生になることを痛感します。そんな感情の変化が、セリフ一つないのにはっきりと伝わってくるのです。表情、仕草、そして身につけるファッションの変化――これらすべてが、ギギの内面を雄弁に語っています。
各場面でギギの衣装が変わり、その色合いやデザインが彼女の心象風景と見事にリンクしています。リゾート地での軽やかな装い、香港での大人びたドレス、そしてハサウェイの元へ向かう時の決意を感じさせる衣装――中盤の会話劇は、こうしたギギのファッションの変化を楽しむという視点でも非常に見応えがあります。
ギギ・『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』期間限定公式ショップ 1月30日(金)OPEN!
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キャラクターデザイン/総作画監督の恩田尚之氏描きおろし【ギギ・アンダルシア】を公開!
イメージが変化する3着の衣装で登場
公式サイトhttps://t.co/3bPSMOV29W#閃光のハサウェイ #キルケーの魔女 pic.twitter.com/icVYFsVoBC
分岐点となったギギの呼びかけ
特に重要なのが、ハサウェイがレーン・エイムを殺そうとした瞬間です。
ヘルメットの中が見えないハサウェイが、レーンを殺そうとした時、ギギが呼びかけて止めました。これが第3部の結末の分岐点になったのではないでしょうか。
原作では第3部で、クエスから「間違いで殺される方はたまらないよ。おいでハサウェイ」というセリフと共に、右に左に大きく揺れるクエスの顔が左右に変形しながら現れるという描写があります。映画ではアムロがその描写を担っていましたが、その結果、アムロの亡霊を振り払ったハサウェイがレーンを殺そうとするも、ギギによって止められました。
つまり、アムロから死者の世界への誘いを受けたハサウェイは、いわゆる「闇落ち」して処刑ルートへ向かおうとしていたものの、原作と違ってギギが食い止めたという解釈もできるのではないでしょうか。
原作よりもハサウェイの気持ちになった、あるいは救おうとする意志を強めたギギの存在が、第3部でどう影響するのか――この改変は非常に大きな意味を持つと思われます。
原作へのリスペクトと、会話劇が生み出す魔術
本作は、全体の約8割が会話シーンです。モビルスーツ戦闘は序盤と終盤のみで、中盤はひたすら人間ドラマが続きます。
しかし不思議なことに、まったく飽きないのです。その理由は、村瀬修功監督による「空間演出の魔術」にあると思います。
実写を超える海の描写
まず圧倒的なのが、海の描写です。本作ではマフティーの拠点が海上の船であるため、海のシーンが多く登場します。その海の描写が、実写と見紛うほどリアルなのです。波の動き、水に当たる光の反射、水面の質感――すべてがCGとは思えないクオリティです。
この海は、単なる背景ではなく比喩でもあるように感じました。
- 海に漂うように迷うハサウェイ
- 海を冷静に見つめるケネス
- 海の流れを感じ取るギギ
三者三様の立ち位置が、海という存在によって表現されているのです。

主観視点とカット割りの妙
会話シーンでは、主観視点が効果的に使われています。キャラクターが部屋に入る一瞬だけ主観視点に切り替わることで、単調になりがちな会話に映像的な面白みが生まれています。
カット割りも頻繁で、何気ない会話なのにカメラが次々と切り替わり、手や口といったパーツをアップで映します。これにより、セリフに乗らない心理描写がさりげなく伝わってくるのです。
構図、ライティング、空間の立体感――すべてにこだわり抜かれた会話劇は、まさに「魔法」と呼ぶにふさわしいものでした。
生々しい大人の関係
本作には、ガンダムシリーズとしては異例なほど「大人の関係」が生々しく描かれています。
ギギがフラウアー(ケネスの元恋人)に耳打ちするシーン。原作小説では、ギギがかなりの露骨な内容を囁きます。映画版ではさすがに全年齢向けということで、具体的なセリフは避けられていますが、フラウアーが激昂して飛び出していくことから、その内容の過激さが伝わってきます。
ケネスは劇中で「プレイボーイ」として描かれており、実際にフラウアーとベッドを共にするシーンもあります。彼は肉欲にまみれた大人の男であり、ギギもそれを見抜いています。だからこそ、老人の愛人として生きてきたギギは、ケネスの「寂しい人生」を感じ取り、最終的にハサウェイを選ぶのです。
ジュリアのトップレスシーンやケネスがギギをビンタするシーンで耳元で囁く卑猥な言葉――さすがにカットするだろうと思っていた原作の内容を、最大限可能な範囲で持ってきたというのは、原作リスペクトへの執念を感じられます。村瀬監督は「やりやがった」ということです。
このような生々しい大人の関係性が、本作に独特の重みを与えています。単なるロボットアニメではなく、人間の欲望と弱さを容赦なく描く作品として、本作は異彩を放っています。
劇中の登場機体――設定に隠された意味と第3部への伏線
※この項目には映画『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』の重要なネタバレが含まれています。未鑑賞の方はご注意ください。
映画『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』には、それぞれに深い設定と意味を持つモビルスーツが登場します。これらの機体は単なる戦闘兵器ではなく、物語のテーマや登場人物の心理と密接に結びついています。
Ξガンダム――νガンダムの系譜を継ぐ第5世代の威容
Ξ(クスィー)ガンダムは、マフティーがアナハイム・エレクトロニクスに依頼して開発した第5世代モビルスーツです。最大の特徴は、ミノフスキークラフトによって単独飛行が可能という革新的な設計にあります。前作『閃光のハサウェイ』でペーネロペーとの激戦を勝ち抜いた後、本作ではオーストラリア大陸を舞台にさらなる戦いへと身を投じていきます。
Ξガンダムというのは、アナハイムの「ν(ニュー)」というギリシャ文字シリーズの続きと言えます。設定資料などからも分かる通り、νガンダムの系譜を継承する機体なのです。
ラストバトルでレーン・エイムと戦って損傷したΞガンダムのフェイス。お馴染みのフェイスはボロボロと剥がれ、その中からはガンダムらしいスリットの入った顔を拝むことができました。剥がれたフェイスを見ると、白い装甲、頬取りも白く、νガンダムによく似ています。唯一気になるのはスリットの数です。νガンダムは3つですが、Ξガンダムの新しいフェイスは2つなのです。
クスィーはミノフスキーフライト搭載機ということで、空中を縦横無尽に駆け回る姿が印象的でした。その圧倒的な機動力と火力が、終盤の戦闘シーンを盛り上げています。
TX-ff104 アリュゼウス――量産型νガンダムをコアとした練習機
本作のラストシーンに登場した新機体、それがTX-ff104 アリュゼウスです。
この機体は、ペーネロペーのフライトフォームによる高速移動に慣らすために急造された練習機です。型式番号の「TX」は試作機を表す「RX」ではなく、「トライアル(練習機)」を意味していると考えられます。
そして、この機体の肝とも言えるのが、コアユニットである量産型νガンダムです。
この機体はνガンダムを開発したタイミングで、その量産計画として建造された機体です。本機は原型νガンダムと同様、サイコフレームが使用されており、その未知の性能とシャアの隕石落としを防いだという脅威から量産が中止になりました。
また、量産型νガンダムのオプション装備であるフィンファンネル。新たなニュータイプの登場を期待して装備されましたが、結局、機体の性能を引き出せるパイロットがいなかったことも量産計画中止の一因である可能性が資料によっては示唆されています。
そんな失敗計画だった量産型νガンダムは1機だけが建造されており、レーン・エイムが乗っていたのはその1機であると考えられます。レーンの「僕が感じた」というようなセリフも印象的でした。
リガズィ・カスタム――容赦ないトラウマの再現
そして、もう1機、注目すべき機体が登場しました。それがリガズィ・カスタムです。
Ζガンダムをリファインした機体であるリファイン・ガンダム・ゼータ、通称リガズィ。本作では、ダバオから輸送される姿が確認されましたね。パープルカラーのリガズィだったのでリガズィ・カスタムでしょう。
本作では戦闘シーンこそありませんが、この機体の登場には重要な意味があります。ハサウェイにとって、トラウマの象徴です。『逆襲のシャア』で初恋の人クエスを失い、そしてアムロの恋人チェーンを自らの手で撃ち殺してしまった――この二重のトラウマが、ハサウェイの精神を蝕み続けています。
そんなハサウェイの前に、アムロ仕様機であるリガズィ・カスタムが現れるのです。制作スタッフのハサウェイへの追い込みは、まさに容赦ないと言えるでしょう。第3部では、この機体がどのような形でハサウェイの前に立ち塞がるのか。父ブライト・ノアとの対決、そしてアムロの亡霊――すべてがハサウェイを追い詰めていくのです。
まとめ:精神の深淵を覗く、異色のガンダム作品
劇場アニメの2部作目である『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』は、ガンダムシリーズの中でも異色の作品です。派手な戦闘シーンよりも会話劇が中心で、主人公は精神を病んでおり、大人の肉欲が生々しく描かれています。
全体の評価としては、モビルスーツ戦も最高だし、ヒューマンドラマも面白いし、新たな見せ方をしてくれた最高のガンダム作品という印象です。ただそうは言っても、中盤に戦闘シーンが一切ないので、少しでも挟んでくれたらもっとメリハリがあって良かったんじゃないかなという印象もあります。
終盤の戦闘シーンは一級品で、『トップガン』を彷彿とさせるコックピット視点の没入感は必見です。そしてその戦闘を行っているのが、精神崩壊寸前のテロリストだという事実が、この作品を暗く深いものにしています。
ガンダム初心者には難解かもしれませんが、少なくとも前作『閃光のハサウェイ』を観ておけば十分楽しめます。そして可能であれば、『逆襲のシャア』も観ておくと、ハサウェイのトラウマがより深く理解できるでしょう。
精神の深淵を覗き込むような、暗く重い作品です。しかしその暗さの中にこそ、人間の真実があります。大人向けのガンダムとして、本作は新たな地平を切り開いたと言えるでしょう。






