映画「ワン・バトル・アフター・アナザー」は、ダメ親父が、娘のために世界に喧嘩を売る。これが今年、最高にカッコ悪くて、カッコいい映画でした。
タイトルの「One Battle After Another」で直訳すれば「戦い、また戦い」であり、日本語字幕では「戦闘また戦闘」と訳されていました。これは終わりなき闘争の連鎖をそのまま言葉にしたタイトルといえます。これが単なるアクション映画の煽り文句ではなく、物語の本質そのものを凝縮した言葉であり、親世代が戦い、次世代が戦いを引き継いでいく。そしてエンドクレジットでそのバトンは、画面の向こうの私たちへと渡されます。
原作について
アクション映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』の着想源は、アメリカ現代文学のポスト・モダン文学の旗手、トーマス・ピンチョンの長編小説『ヴァインランド』(1990年刊行)です。
『ヴァインランド』は、1960年代から1980年代のカリフォルニアを舞台に、かつてのヒッピー世代や急進左翼活動家たちがレーガン政権下の保守化した社会でいかに生き残るかを描いた作品です。父娘の絆、元革命家の没落、過去との再対峙という中核テーマが、本作の骨格を成しています。出版当初は「ピンチョン・ライト」と評された彼の最もアクセスしやすい長編とされていますが、それでも非線形の語りとポスト・モダン的な構造を持つ複雑な小説です。
注意してほしいのはクレジット上の扱いは「原作(based on)」ではなく「インスパイアード・バイ(inspired by)」です。物語の骨格は原作から大きく変えられており、以下が主な変更点です。
- 時代設定: 原作の1980年代(レーガン政権下)から、2020年代の現代アメリカへ移行。
- 主人公の名前: ゾイド・ウィーラー → ボブ(革命時代の名:パット・カルホーン)
- 娘の名前: プレイリー → ウィラ・ファーガソン
- 母親の名前:フレネジ・ゲイツ → ペルフィーディア・ビバリーヒルズ
- 敵役の変更: 麻薬取締局の捜査官ブロック・ヴォンド → 軍人ロックジョー大佐
- 革命組織の描き方: 原作では過去の回想として語られる構造だったが、映画では「フレンチ75」という組織として劇中に直接登場。
- 物語構造: 原作の非線形叙述(過去と現在を往復)から、映画では追跡劇を中心とした直線的なアクション構造へ変更。
- 超現実的要素の整理: 原作に登場する忍者集団や死者に近い存在などの漫画的・幻想的要素は削除。 ただし「忍者アカデミー」という名称などに痕跡が残る。

またポール・トーマス・アンダーソン監督は、このインタビューで、トマス・ピンチョンの小説『Vineland』を映画化する試みが長年の挑戦だったと語っている。もともとは原作をそのまま映画化する構想もあったが、ピンチョン作品特有の複雑な構造や多数の登場人物、超現実的なユーモアを映像で再現する難しさに直面したという。そこで監督は、物語を忠実に再現するのではなく、作品の核心にある「革命の後に残された人々の人生」というテーマに焦点を当てる方針へ転換した。結果として本作は、原作を基にした翻案ではなく、ピンチョンの世界観から着想を得たオリジナル映画として再構築された。監督はこの過程を「長い格闘だった」と振り返りつつ、文学と映画の表現の違いが生んだ創作の自由こそが、この作品の出発点だったと語っています。
映像体験への誘い:ポール・トーマス・アンダーソンの新境地

ポール・トーマス・アンダーソン監督といえば、『ブギーナイツ』(1997年)、『マグノリア』(1999年)、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007年)で知られる監督です。そして派手なアクションではないとはいえアクション映画という、彼にとってこれまでにない領域への挑戦が、『ワン・バトル・アフター・アナザー』でした。
配信で視聴して、まず驚いたのはその映像の質感です。砂埃と光があふれるカリフォルニアの街路を、まるで1970年代の犯罪映画のように粒立った映像で捉えた独特のルックは、視聴直後からその正体が気になりました。
コメディとスリラーが混在する、唯一無二の文体
アクション映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』は、一言では形容しがたい独自のものです。銃撃戦、カーチェイス、群衆暴動といったアクション的興奮の直中に、思わず声を出して笑ってしまうようなブラックコメディが自然に溶け込んでいます。
特に印象的だったのは、ボブが16年前に設定したパスワードをどうしても思い出せずに電話口で四苦八苦するシーン。元革命家という肩書きがいかに滑稽に空洞化しているかを、一場面で見事に語りきっています。これほど失笑してしまいかつほろ苦い自己嘲笑を含むシーンはそうそうお目にかかれません。
序盤の演出:ドキュメンタリーとアクションの融合
物語の冒頭、革命グループ「フレンチ75」のテロ活動を描くプロローグは、16年後のシーンと比べると荒削りでありドキュメンタリーフィルムのような質感を持っています。そしてテンポよく過去の事件が刻まれていきます。この序盤の選択が、後半の政治風刺やコメディ的展開とのコントラストを生む大きな仕掛けになっていると感じました。
日常の動作がアクションになる瞬間
アンダーソン監督の演出で特筆すべきは、「何気ない動作をアクションとして切り取る」という哲学です。コンセントを探して部屋を歩き回るボブ、カーテンレールを引っ張って誤って落としてしまうボブ。いずれも、他の映画では何でもない日常の仕草ですが、本作ではなぜか目が離せない運動として成立しています。
横長のシネスコ画面を男女が右から左、左から右へと繰り返し走り抜けるという「走る」アクションで青春映画を彩りました。本作では撮影方式がVistaVisionの縦横比1.85:1に変わり、奥行き(Z軸)方向への運動が主役となります。車が画面の手前から奥へ向かって疾走するカーチェイスの設計も、この「奥行きへの吸引力」を最大限に活かした演出です。
ディカプリオが演じるボブの「重くなった鈍い体の動き」が、他のキャラクターが屋上をひょいと飛び越えるなか、はしごをのっしりと登り降りする対比として映える。スタンガンを打たれて倒れる瞬間のコミカルな動き。電話を「ただ取る」だけで笑えてしまう不思議さ。こうした身体表現への精緻なこだわりが、ディカプリオの名優としての才能と化学反応を起こし、アクション映画としての面白さを数倍に底上げしているのだと思いました。
怒涛の第二幕と圧巻のカーチェイス
序盤の約1時間は、登場人物たちと世界観の骨格を矢継ぎ早に構築する「助走」のような感触があります。展開が早く、ときにちぐはぐに映ることも正直なところでした。しかし中盤、暴動とパルクールスケーターとディカプリオの逃走劇が同時並行で交差する30分間の長回しに差し掛かった瞬間、それまでのあらゆる「散らばった糸」が一本に束ねられていきます。
映画 ワン・バトル・アフター・アナザーの編集を担当した アンディ・ジュルゲンセン氏 は、クライマックスのカーチェイスが編集によって完成したシークエンスだと語っています。ポール・トーマス・アンダーソン監督は細かなストーリーボードに頼るのではなく、多方向から撮影した素材を編集室で組み合わせながら構造を作り上げています。複数の視点を交差させるクロスカッティングによって、観客が状況を理解できるよう整理しながら緊張感を段階的に高めていきます。また監督は観客にすべてを説明しない編集を重視し、激しいアクションの合間に静かなショットを配置して緩急のリズムを作っています。こうした編集設計によって、このカーチェイスはCGの派手さではなく、構成とリズムの巧みさでスリルを生み出す見せ場となっています。

映像の中での存在感を軸に画面を支配する者たちの、静かで激しい戦い
ディカプリオの「カッコ悪い」完全勝利
レオナルド・ディカプリオが演じるボブは、キラキラした往年のスター像とは正反対の人物です。口が悪く、薬に逃げては暴言を吐き、元革命家という肩書きとはかけ離れた情けない日常を送っています。それでも——いや、だからこそ——不思議と憎めない。人間的な弱さと、娘を守ろうとする必死さが混在する様子に、終盤には思わず胸が熱くなりました。
アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた今回の演技は、彼のキャリアの中でも白眉といえる仕事だったと思います。
ショーン・ペンという名の暴力的な存在感
本作で最も衝撃的だったのは、ショーン・ペン演じるロックジョー大佐です。怖いを通り越して不気味、不気味を通り越してどこか滑稽——この三つが同居する怪物的な悪役でした。その歩き方、声のトーン、画面に映るだけで場の空気を変える圧迫感。アカデミー賞助演男優賞にノミネートされたことも、まったく驚きではありません。
ウィラ・ファーガソンを生きたチェイス・インフィニティ
本作で最大の発見のひとりが、娘ウィラ・ファーガソンを演じたチェイス・インフィニティです。本作が映画デビューとなる彼女が、レオナルド・ディカプリオやショーン・ペンという重厚なキャリアを持つ大物俳優と同じ画面に立ちながら、まったく遜色のない存在感を放っていることに、視聴中に何度も驚かされました。
ディカプリオと向き合うシーンでは、彼女の眼差しと抑制の効いた感情表現が、父ボブの滑稽さとほろ苦さをより際立たせます。ペンの凶暴な圧力にさらされる単独のシーンでも、過剰に怯えることなく、芯の強さを静かに押し出す演技は印象的でした。圧倒的な存在感の俳優たちに引きずられることなく、ウィラというキャラクターとして確かに画面を占拠している。その自然な肚の据わり方は、新人とは思えない成熟を感じさせます。
音楽と映像が語るもの
音楽を担当したのは、レディオヘッドのリード・キーボーディストであり、アンダーソン監督の常連コラボレーターでもあるジョニー・グリーンウッドです。
今作では木琴やマリンバなどの打楽器を駆使した独特のリズムが、不協和音として物語の緊張感を増幅させています。
特筆すべきは、映像との「音ハメ」の精度です。軍人たちがバリケードを突破した瞬間に音楽が鳴り響く、ある登場人物がルームミラーを見た瞬間にテーマが始まり映像と音が「ぴたり」と合う瞬間が随所にあり、それがミュージックビデオ的な高揚感を生み出しています。ボブの逃走劇の最中に流れる、ピアノの静かな一定のリズムからオーケストラへと爆発的に広がるテーマ曲は、先の読めない物語の乱流そのものを音楽で体現しているようでした。
VistaVisionという忘れられた映画技術の復活
映画 「ワン・バトル・アフター・アナザー」の撮影について、撮影監督 「マイケル・バウマン」はインタビューで、古典的フォーマット VistaVision を現代映画に応用した挑戦を語っています。VistaVisionは35mmフィルムを横方向に走らせて大きなネガを得る方式で、1950年代に広く使われた後ほぼ姿を消した技術です。本作ではこのフォーマットを復活させ、より高精細で豊かな質感の映像を目指しました。
ただし実際の撮影は容易ではなかったようです。VistaVisionカメラは本来三脚での撮影を想定して設計されており、移動撮影や同期録音を行うためには防音ケースの自作や機材改造が必要でした。またフィルム消費量が多く、1本のマガジンで撮影できる時間はわずか数分しかありません。長い会話シーンでは通常の35mm撮影も併用するなど、状況に応じた工夫が求められました。
さらにポール・トーマス・アンダーソン監督は、可能な限りデジタル処理に頼らず、撮影時点で画作りを完成させるという方針を取っています。そのため露出やライティングは現場で正確に決める必要があり、フィルム本来の質感を最大限に活かした映像設計が行われました。こうした試行錯誤の積み重ねによって、本作の独特なフィルム映像が生み出されています。

現代アメリカを予言した映画
AIで作成したイメージ画像
移民収容センターへの革命グループの襲撃、サンクチュアリ・シティ(移民保護都市)への軍隊派遣する物語の中で架空の出来事として描かれたエピソードが、撮影終了後のアメリカで現実として起きたのです。本作の政治的な背景は、単なる「フィクション内の設定」ではなく、60〜70年代の実在の過激左翼組織「ウェザー・アンダーグラウンド」の活動をモデルにしています。彼らはベトナム戦争や人種差別に反対して政治的施設への爆弾テロを行い、その後30数名が偽名で潜伏生活を続けたという実話が、物語の土台にあります。
日本においても、この「逃亡しながら生きる元過激派」という物語は決して遠くありません。2024年に発覚した桐島聡事件では、過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバーとして1974〜75年の連続企業爆破事件に関与し指名手配された人物が、「内田洋」と偽名を使い神奈川県藤沢市の工務店で住み込み勤務を続けながら約49年間潜伏。末期の胃がんで鎌倉市の病院に入院した際に自ら名乗り出て4日後の2024年1月29日に70歳で死亡、DNA鑑定で本人と特定されました。薬に逃げながら娘とひっそり生きるボブの姿は、どこかこの事件の影を帯びています。

愛は思想を超えるか――本作が描く本質的なテーマ
アクション映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』の本質は、政治映画でも反体制映画でもなく、愛の映画だと思えます。
劇中で登場する「革命グループ」と「白人至上主義秘密結社」は、どちらも人間の感情を無視した「非人間的なシステム」として描かれています。革命グループは16年の時を経て、相い言葉を知らないというだけで娘を持つ父親を切り捨てる形式的な組織に成り下がっています。一方の秘密結社は、ロックジョーをルール違反だとして抹殺しようとします。
ボブはただ一つ娘への愛だけを武器に奔走します。思想も血統もパスワードも関係ない。ボブが娘に会うために発揮する愛のパワーの前では、革命の相い言葉も秘密結社の規則も、等しく「どうでもいいもの」に成り下がる。
ラストで語られる母ペルフィーディアの言葉、「We failed. Maybe you will not. Maybe you will be the one who puts the world right.(私たちは失敗した。でもあなたなら世界をよくできるかもしれない)」は、次世代への希望のバトンです。革命という言葉は政治的な意味を超え、目の前の人を愛することから始まる個人の小さな革命へと昇華されます。
アクション映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』が批評家の間で圧倒的な支持を集めつつも、一部の視聴者から強い拒否反応を引き出したのは、その政治的メッセージゆえでしょう。
白人至上主義秘密結社の描写や、左翼革命グループを主人公に据えた設定については「ハリウッドのエリートによる政治的説教」という批判もあります。その見方を全否定する気にはなれません。
ただ、アンダーソン監督が白人至上主義グループを描く際の視点は、糾弾よりも諷刺に近いものです。「最強の権力者たちも、詰まるところは子供の秘密基地で遊んでいる子供に過ぎない」という視線は、プロパガンダとは一線を画しています。
これを「表面的な政治映画」と見るか、「権力の滑稽さへの鋭い解析」と見るかは、視聴者の受け取り方次第でしょう。
まとめ:ダメな父親が娘に伝えた、革命より大切なもの
映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』は、笑えて切なくて、そして静かに胸を打つ映画でした。パスワードも思い出せない情けない父親が、ただ娘のためだけに奔走する。それはDNAでも思想でもなく、共に過ごした時間こそが愛の証明なのです。そのシンプルな命題を、162分の壮大なアクションで語りきる手腕は驚嘆に値します。
ショーン・ペンの怪演、ジョニー・グリーンウッドの不協和音、VistaVisionの粒立つ映像美のすべてが結晶したとき、「映画でしかできないこと」を目撃した確かな実感が残りました。
「次から次へと続く戦い」は、まだ終わっていないのかもしれません。






