映画『Pearl/パール』は「女性版ジョーカー」のような、純粋な少女が時代や環境に翻弄され、徐々に狂気へと転落していく物語として紹介されていました。しかし実際に観てみると、その印象は大きく覆されます。
冒頭数分で、パールは農場のガチョウを鍬で突き刺し、近くの湖に生息するワニ「セダ」に餌として与えるのです。この名前の由来は、サイレント映画期の人気女優の一人で、最初のセックス・シンボルといわれる、セダ・バラ(Theda Bara)です。この時点で観客は理解します。パールは最初から「壊れて」いたのだと。
彼女は決して、環境によって狂気へと追い込まれた哀れな犠牲者ではありません。むしろ元々持っていた異常性を、厳格な母親が必死に抑え込もうとしていた構図だったのです。母親の厳しさは、娘の危険性を理解していたからこその防衛策だったという解釈も成り立ちます。
町へ買い物に出かけた帰り道、農場のかかしと踊り、激しいディープキスを交わし溜まっていた性への衝動を解放するパール。その直後、我に返って自嘲する彼女の姿は、自分の異常性を理解しながらも抑えられない衝動の存在を示唆しています。
このように映画『Pearl/パール』は、「狂気への転落物語」ではなく「元々の狂気が解放される過程」を描いた作品だったのです。
脚本家兼プロデューサーとしての情熱的な挑戦をしたミア・ゴスという奇跡
映画『Pearl/パール』を語る上で、ミア・ゴスの多面的な才能を抜きにすることはできません。彼女は本作で主演を務めるだけでなく、タイ・ウェスト監督と共に脚本を執筆し、プロデューサーとしても参加しています。
前作『X エックス』では、若い女優マキシーンと老婆パールの一人二役を特殊メイクで演じ、その演技力の幅広さを証明しました。そして映画『Pearl/パール』では、パールの若かりし頃を演じるにあたり、キャラクターの内面をより深く掘り下げるため、自ら脚本作りに参加したのです。
この参加によりミア・ゴスはパールというキャラクターに多層的な魅力を与えることに成功したと思います。表面的には純粋で夢見る少女でありながら、内側には制御不能な狂気を抱えているという複雑なキャラクター造形は、演じる側が創作にも関わったからこそ実現したものでしょう。
それは物語のクライマックスでダンスが不合格となり義理の姉妹ミッツィに対して、自分の内面を吐露する長いモノローグのシーンは、まさに俳優としての真価を問われる場面ではないでしょうか。感情を抑えながら、しかし徐々に高ぶっていく心情を、繊細かつ激しく表現する彼女の演技は、観る者を完全に引き込みます。
映画史への敬意
タイ・ウェスト監督は、映画『Pearl/パール』を通じて映画史への深い敬意を表現しています。前作『X エックス』が1970年代の低予算ホラー映画、特に『悪魔のいけにえ』へのオマージュだったのに対し、『Pearl/パール』は1939年の名作ミュージカル『オズの魔法使』の幻想的なテクニカラー映像を再現しています。
鮮やかな色彩、明るい日差しの下で繰り広げられる恐怖。これは従来のホラー映画の常識を覆す試みでした。多くのホラー映画が暗闇や夜のシーンで恐怖を演出する中、映画『Pearl/パール』は真昼の光の中で血みどろの惨劇を描きます。この対比が、かえって不気味さを増幅させているのです。
映画『Pearl/パール』は、『オズの魔法使』と『何がジェーンに起こったか?』を掛け合わせたような作品だという印象を受けました。
『何がジェーンに起こったか?』(1962年)は、ベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードという往年のハリウッド女優が共演したサイコスリラーの古典です。かつてスターだった姉妹の狂気を描いたこの作品と、映画スターを夢見るパールの物語には、確かに共通点があります。どちらも「叶わなかった夢」が狂気の引き金となっているのです。
オーディションシーンが描く残酷な真実
映画『Pearl/パール』のクライマックスの一つが、パールがダンサーのオーディションに挑むシーンです。このシーンは、夢と現実の残酷なギャップを鮮明に描き出しています。
舞台の上で踊るパール。彼女は自分を解放し、情熱的にダンスを披露します。視聴者は思わず「彼女には才能がある」「合格するかもしれない」と期待してしまいます。しかし審査員たちの反応は冷ややかで、結果は不合格でした。
その理由は、ダンスの技術や表現力ではありません。「今回はブロンドの若い女性を求めている」という、才能とは無関係な基準によるものでした。
このオーディションシーンの撮影では、ミア・ゴスの献身的な演技が現場のすべてを支配しました。撮影前、彼女は何週間もダンスの特訓を重ね、パールの内面と身体表現を完全に一致させる準備を行いました。本番では、自らの感情を完全に開放し、パールの絶望と希望が入り混じった複雑な心情を全身で表現したのです。
このシーンが示しているのは、パールが本当に求めていたのは「スターになること」ではなく「愛されること」だったという真実です。彼女はダンサーとして成功したかったというより、誰かに認められたかった、愛されたかったのです。
映画史に残る2分23秒の狂気の笑顔
そして映画『Pearl/パール』最大の見どころといっても良いのが、エンドロールのシーンです。戦争から帰還した夫ハワードを迎えるパール。彼女は満面の笑みで「あなたが帰ってきて本当に嬉しい。(I’m so happy you’re home.)」と語りかけます。そのままカメラは彼女の顔をクロースアップで捉え続け、エンドロールが流れ始めます。
これから2分23秒間、ミア・ゴスは一度も瞬きをせず、笑顔を保ち続けます。最初は幸せそうに見えたその笑顔が、時間が経つにつれて次第に不気味さを増していきます。目が潤み、涙が溢れそうになりながらも、彼女は笑い続けるのです。
この「恐怖」と「面白さ」の間を揺れ動く奇妙な感情がありこのエンドロールは、まさに映画『Pearl/パール』全体を象徴する場面と言えるでしょう。
1918年のパンデミックと閉塞感――現代への静かなメッセージ
映画『Pearl/パール』の時代設定である1918年は、スペイン風邪(インフルエンザ)のパンデミックが世界中で猛威を振るった年でもあります。作中でも、この感染症の脅威が背景として描かれています。
2022年に公開された映画『Pearl/パール』は、新型コロナウイルスのパンデミックを経験した現代の観客にとって、特別な意味を持ちます。隔離、孤独、抑圧された欲求、そして社会全体を覆う閉塞感は1918年の人々が経験したこれらの苦しみは、私たちが近年経験したものと重なります。
パンデミックという外的要因によって、パールの孤独と抑圧はさらに深まります。夫は戦争に、町の人々は感染を恐れて距離を置く――彼女を取り巻く環境は、彼女の狂気を加速させる触媒となったのです。閉塞感の中で出口を見失った若い女性の心が、徐々に壊れていく過程は、現代を生きる私たちにも身近な恐怖として感じられます。
まとめ:狂気の笑顔に宿る、愛への渇望と諦念
映画『Pearl/パール』は、ホラー映画という形式を借りながら、愛されたい、認められたいという普遍的な人間の欲求を描いた作品です。従来のホラー映画が夜の闇や暗い室内で恐怖を演出するのに対し、映画『Pearl/パール』の多くのシーンは明るい日中に展開されます。これはタイ・ウェスト監督の大胆な挑戦でした。終盤の解体(何かは省きます。)シーンと食事シーンはグロいのですが周りは明るいのでより不気味でしたね。
スターになりたかったパールは、結局何も手に入れることができませんでした。しかし彼女は「持っているものを大事にする」と決意し、前作の「X」までの60年の間自分を無条件に愛してくれる夫と共にいるのです。
エンドロールで見せる2分23秒の笑顔は、幸福と狂気、愛と絶望が同居した、パールという人物の本質を象徴しています。涙を浮かべながらも笑い続ける彼女の姿は、観る者の心に深い余韻を残すことでしょう。ただみる人によってはトラウマになるかもしれません。
ミア・ゴスという稀有な才能、タイ・ウェスト監督の映画史への敬意、そして時代を超えて響くメッセージが融合した映画『Pearl/パール』は、ホラー映画ファンだけでなく、すべての映画ファンに観てほしい傑作です。





