1920年のデビューから100年以上たってもなお、世界中の人々をとりこにし続ける「ミステリーの女王」ことアガサ・クリスティ。そんな彼女が生み出した探偵の一人が、エルキュール・ポアロです。
ポアロを主人公とした多くの小説たちは人々に読み継がれるだけではなく、何度も映像化されています。そんな人気探偵であるポアロを21世紀に入りシェイクスピア俳優としておなじみのケネス・ブラナーが、自らポアロを演じつつメガホンも取る「ブラナー版ポアロ」シリーズ。本作『名探偵ポアロ ベネチアの亡霊』は、『オリエント急行殺人事件』、『ナイル殺人事件』に次ぐ「ブラナー版ポアロ」シリーズ第3弾として製作・公開されました。

第3弾にしてマイナー作に挑んだブラナー版ポアロ
「ブラナー版ポアロ」シリーズの第3弾が『ハロウィーン・パーティ』になると知った時、単純に驚いたのを非常によく覚えています。これまでブラナー監督は『オリエント急行の殺人』や『ナイルに死す』といった、ポアロシリーズの中でもトップクラスに有名な作品を扱ってきました。これらはポアロシリーズということを抜きにしても多くの人々に知られた作品で、何度も映像化されてきた作品でもあります。タイトルだけで観客を呼べるというメリットがある反面、過去の作品と比較されやすいというデメリットもありました。このような著名作に挑めるのは、幾たびも上演・映像化され続けているウィリアム・シェイクスピア作品にこれまで何度も挑み続けたブラナーらしい挑戦だな、と感じていました。
そんな彼が新たに挑んだ『ハロウィーン・パーティ』は、ポアロシリーズの中ではマイナーな部類の作品で、映像化は何度もされているものの、万人が知る作品とは言えません。また、映画のタイトルが『名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊』へとかなり大胆な変更がされたのも、非常に気になっていました。実際に映画を観てみて、このタイトルの変更及び題材のチョイスに納得がいきました。原作からの改変が非常に多く、また作品内容を示すためにはこのタイトル以外のタイトルはありえないな、と思いました。物語の大幅な変更には、監督の強い意思が伝わってきました。ブラナー監督の自伝的映画『ベルファスト』を経たこのタイミングだからこそ描ける、名探偵ポアロという人物についての映画シリーズなのだな、ということを本作でまざまざと実感しました。
ミステリーと超常現象
本作は原作のタイトル『ハロウィーン・パーティ』から想像がつきやすい、秋にぴったりなホラー風味なミステリー作品です。日本ではホラー作品であるという宣伝があまりされていなかったため、実際に他の鑑賞したレビューをみると驚いた方も少なくないようでした。
物語の起点となるのは、本作の舞台となる屋敷の女主人が霊媒師を読んで降霊会を実施するというもの。科学では証明することのできないオカルト的な要素は、様々な謎を理論的に証明していく探偵ものとはまさに水と油のようにも思えます。けれども、著名な探偵シャーロック・ホームズが登場する『バスカヴィル家の犬』のように、意外とミステリーと超常現象は相性が良と感じます。本作もその類で、理論で物事を解決しようとするポアロが次から次へと巻き起こる超常現象に巻き込まれていく様は、見ごたえがあります。

更に本作ではホラーらしい仕掛けがたくさん用意されています。例えば、映画の舞台となるのはタイトルの通り「ベネチア」、つまりイタリアなわけですが、ヨーロッパ大陸の国が舞台となるのはイギリスのゴシック・ホラーの定番です。ハロウィーンという時期もまさにホラーにぴったり。加えて、ブラナー監督お得意の鏡や影を用いた演出も本作ではホラー映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督をほうふつとさせる形で登場します。魔女のような風貌の霊媒師に、明らかにゴシック様式で建造されたお屋敷。このお屋敷に招かれたのは、秘め事がある子供に正気を失った医者、白衣を纏った女性に、不運な姉弟や元婚約者とミステリー好きにはたまらない要素が多く盛り込まれています。
ホラーを醸し出すカメラアングルと陰影
『オリエント急行殺人事件』は豪華列車、『ナイル殺人事件』豪華客船での殺人事件が起こり犯人探しが大まかな流れです。それに対し今作の「ベネチアの亡霊」は、降霊会という死んだ亡霊という一種の心理スリラーのようになっています。この雰囲気のため降霊会後は、カメラが登場人物の顔に近い撮り方をしており、人物の視線から建物内を見渡し、常に誰かを見ている。そんな撮り方をしています。
そして照明が全体的に暗いです。ホラー要素を出すために薄暗い雰囲気の序盤にあった美しいヴェネツィアが映し出されていたので、序盤と中盤以降の雰囲気が全く異なってきます。

実力派豪華キャストが集結
ブラナー版ポアロシリーズの目玉の一つが、なんといっても出演陣の豪華な顔ぶれです。『オリエント急行殺人事件』では、最重要人物をジョニー・デップが演じ、名優ジュディ・デンチを筆頭に実力派のキャスト陣が脇を固めて大きな話題となりました。『ナイル殺人事件』ではガル・ガドットが重要人物を演じ、やはりその脇を実力派の俳優陣で固めて話題を呼んでいます。
『名探偵ポアロ ベネチアの亡霊』では、アカデミー主演女優賞を受賞したばかりのミシェル・ヨーが重要人物である霊媒師を演じ、さらに『ベルファスト』で主人公とその父を演じたジュード・ヒルとジェイミー・ドーナンを再び親子役で登場させるなど、演技派の俳優を終結させる非常に豪華なキャスティングが実現しています。ブラナー監督自身が舞台畑出身ということも影響してか、注目度や人気度以上に、必要な演技ができる役者を適切な役柄に配置することで、まるで舞台を見ているかのように作品を楽しむことができました。
『名探偵ポアロ ベネチアの亡霊』は、地に足の着いた重みをずっしりと感じることができる一作です。ホラー要素のあるミステリー作品を楽しみたい気分の時にはぴったりの作品だと感じました。
