映画『ロード・オブ・ザ・リング/ローハンの戦い』は、その革新的な制作手法にあります。制作陣はまず全シーンを実写で撮影し、モーションキャプチャーとして記録。通常であればこの動きをそのままCGに落とし込むところですが、本作ではあえて手描きアニメーションにこだわりました。
アニメーション制作を担当したソラ・エンタテインメントは、『バットマン:ザ・ロング・ハロウィーン』や『カタストロフィ』などで知られる、アメリカと日本の技術を融合させることに長けたスタジオです。

本作では日本のアニメーターの技術力を最大限に活用し、実写の自然な動きとアニメーションの表現力を両立させることに成功しています。特に馬や鷲といった動物の動きは驚くほど滑らかで、戦闘シーンでの細かいアクションも丁寧に描き込まれています。最終的な作画枚数は13万枚に達し、劇場の大画面で観れば圧倒的な迫力を感じられたことでしょう。
背景美術も素晴らしく、ローハンの広大な草原や険しい山々、そして要塞ホルンブルクの重厚な石造りの城壁など、中つ国の世界観が丁寧に再現されています。色彩設計も抑えた色調で統一され、実写三部作が持つ重厚な雰囲気を損なわない仕上がりとなっていました。
神山健治が挑んだ西洋ファンタジーの実験
『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』や『東のエデン』といったSF作品で国際的な評価を確立してきた神山健治監督です。そんな彼が初めて本格的な西洋ファンタジーに挑んだのが映画『ロード・オブ・ザ・リング/ローハンの戦い』です。
本作は実写映画三部作の200年前、原作小説『指輪物語』の追補編に記された「ヘルム・ハンマーハンドの物語」を2時間強の長編アニメーションとして膨らませた意欲作です。原作における記述は極めて簡潔なもので、トールキンはこう記しています。
ヘルムには娘がいた。彼女は美しかったが、名前は記されていない。フレカが彼女を求めたが、ヘルムは拒絶した。
この一文から始まる物語を、制作総指揮に実写三部作を手がけたピーター・ジャクソン、脚本に三部作でも活躍したフィリッパ・ボウエンを迎え、壮大な戦記譚へと昇華させたのです。
ただ残念なことに、2024年の公開時の日本では異世界転生アニメが溢れかえっており、ファンタジー作品としての新しさや新鮮さを感じることが困難な状況でした。『無職転生』『転生したらスライムだった件』『盾の勇者の成り上がり』といった人気シリーズが次々とアニメ化され、剣と魔法のファンタジー世界は視聴者にとってすでに見慣れた光景となっていたのです。
トールキンが創造した中つ国という本格的なハイファンタジーの世界観を、日本のアニメーション技術で描くという試み自体は素晴らしいものでした。しかし、日本の視聴者がすでに無数のファンタジーアニメに触れてきた2024年という時期に、「王国」「騎士」「復讐」といった要素だけでは、新鮮な驚きを与えることができなかったのかもしれません。これは本作の質の問題ではなく、むしろ時代の皮肉といえるでしょう。
映像美に追いつかなかった物語と演出
本作を観て多くの方が感じるであろう違和感が複数存在したというのが印象です。
まず「ロード・オブ・ザ・リングらしさの欠如」です。2001年から2003年に公開された実写三部作が持つ壮大なファンタジー感である魔法使い、エルフ、ホビット、ドワーフといった多彩な種族が織りなす冒険譚などの要素が本作にはほとんど登場しません。
物語の大半は人間同士の争いであり、オークがわずかに登場する程度。魔法の要素もほぼ皆無です。終盤にサルマンがファンサービス的に登場しますが、それも本当に「ちらっと」出てくる程度で、物語への影響はほとんどありません。指輪要素も取ってつけたような扱いで、タイトルに「ロード・オブ・ザ・リング」と冠していながら、実質的には独立したオリジナル作品といった印象を受けました。
原作でヘルム王の娘について記されているのは、前述の通りわずか一文です。「ヘルムの娘を、息子のウルフの妻として求婚したのである。To one of these councils Freca rode with many men, and he asked the hand of Helm’s daughter for his son Wulf.」この記述を2時間の映画に膨らませるという試み自体が、そもそも無理があったのかもしれません。ロード・オブ・ザ・リングファンが期待する「中つ国の魔法的な要素」を求めて観に行くと、肩透かしを食らう可能性が高いと感じました。
さらに深刻なのが、ストーリーテリングの浅さです。登場人物たちの思考があまりにも短絡的で、すべてを「パワー」で解決しようとする姿勢が目立っているのが印象でした。物語の発端となるのは、フレカという移民族の長が自分の息子ウルフを王女ヘラと結婚させようとする場面です。しかしフレカは王に対して無礼な態度を取り続け、野心を見抜かれます。そして起きた諍いの中で、ヘルム王はたった一発のパンチでフレカを殴り殺してしまうのです。
この「ワンパンチキル」が全ての悲劇の始まりなのですが、あまりにも唐突で、キャラクターたちの行動原理に整合性が感じられませんでした。ウルフが軍勢を率いて攻めてくると、ヘルム王は部下の進言を無視して正面から戦おうとします。結果的に息子たちを失い、自らも重傷を負うのですが、そこから見せる行動が常軌を逸しています。夜ごと単身で敵陣に乗り込み、角笛を吹きながら敵兵を次々と倒していくという「亡霊伝説」を自ら作り出すのです。
そしてなんといっても本作の主人公である王女ヘラですが、序盤から中盤にかけて、ヘラの見せ場はほとんどなく、終盤になってようやくヘラが単身でウルフに立ち向かう展開が訪れますが、それまでの描写が薄いため、クライマックスの盛り上がりに欠ける結果となっていました。ウルフもまた小物感が強く、幼馴染みとしての葛藤や、復讐者としての悲壮感がうまく描けていません。
神山監督の真骨頂である自由なカメラワークは随所に見られましたが、それでもなお「もっとダイナミックな演出が欲しかった」と思わせる瞬間が何度かありました。戦闘描写も剣と弓が中心で、確かに格好良いのですが、せっかく日本でアニメ化するのであれば、魔法使いやエルフ、ドラゴンといったファンタジー要素をもっと前面に出し、派手に演出された指輪物語の世界を劇場で観てみたかったという思いが残ります。異世界アニメのように魔法が飛び交い、幻想的な生物が暴れ回る――そんな「アニメだからこそできる表現」をもっと追求してほしかったというのが本音です。
興行的失敗と独立作品としての可能性、そしてVOD時代の希望
制作費45億円に対して興行収入約32億円という結果は、厳しいと言わざるを得ません。特に日本国内では1億円以下という数字で、上映もすぐに終了してしまいました。
しかし、ここで一つ考えるべきことがあります。もし本作が劇場公開ではなく、最初からNetflixやAmazon Prime Videoといった配信プラットフォーム向けに制作されていたらどうだったでしょうか。VOD時代の現在、多くの視聴者は自宅で、好きな時間に、気軽に作品を楽しむスタイルを選んでいます。

実際、本作のような「大作の前日譚」や「スピンオフ作品」は、配信プラットフォームで大きな成功を収める例が増えています。『マンダロリアン』や『ウィッチャー』といった作品は、劇場公開ではなく配信限定でありながら世界中で話題となり、シリーズ化されました。本作も配信プラットフォームでゆっくりと視聴者を獲得し、口コミで評価が広がっていく可能性は十分にあったと思います。
さらに、本作を「ロード・オブ・ザ・リングの最新作」としてではなく、「共通の世界観で展開されるオリジナルアニメ」として観れば、それなりに楽しめる作品であることも確かです。ストーリーはシンプルな復讐譚で、三部作を観たことがない方でも問題なく理解できます。キャラクターデザインもリアルすぎず可愛すぎず、ちょうど良いバランスで好印象でした。実写版の吹き替えを担当した声優陣が参加しているのも嬉しいポイントです。
そして何より、ローハンのテーマ曲が流れる瞬間は、実写三部作のファンであれば胸が熱くなること間違いありません。『二つの塔』でローハンが活躍したシーンを思い出し、懐かしさに浸ることができました。本作は明確に賛否が分かれる作品です。「映像は素晴らしいがストーリーが浅い」「キャラクターの思考が短絡的すぎる」といった批判がある一方で、「意外と楽しめた」「背景美術が美しかった」という肯定的な意見もあります。
まとめ:野心的な実験が残した課題と可能性
アニメ映画『ロード・オブ・ザ・リング/ローハンの戦い』は、圧倒的な映像美と革新的な制作手法で挑んだ意欲作でありながら、ストーリーテリングの浅さという致命的な弱点を抱えた作品でした。
原作のわずか一文を2時間に膨らませたことによる物語の希薄さ、キャラクターの短絡的な思考回路、主人公ヘラの存在感の薄さ、そして何より「ロード・オブ・ザ・リングらしさ」の欠如していました。
西洋ファンタジーの名作に日本のアニメーション技術で挑んだ本作は、成功とは言い難い結果に終わりましたが、その挑戦自体には意義があったと思います。次なる試みでは、映像美とストーリーテリングの両立が実現されることを期待したいと思いました。




