斬新な設定で強烈な印象を残した『パージ』。その続編となる『パージ:アナーキー』は、前作から1年後を舞台に、設定の可能性をさらに深く掘り下げた意欲作となっていました。前作は「家」という単なる密室でのサバイバルに留まらず、街全体が舞台となるスケールの大きな「社会実験」の模様が描かれていました。
パージの基本ルール
- 開催日
- 毎年1回、3月21日の夜に行われる。 開始は夜7時(19:00)、終了は翌朝7時(12時間)。
- 合法化される行為 期間中、すべての犯罪(殺人を含む)が合法になる。
- これにより人々は日頃の憎しみや欲望を解放できるとされている。
- 例外(禁止事項)
- 政府高官レベル10以上は殺害対象外。
- 爆発物や特定の重火器の使用は禁止(ただし市街戦レベルの武器は登場する)。
- パージ時間外に行った犯罪は通常通り違法。
- 公共サービスの停止
- 警察・消防・救急などすべての緊急サービスは活動を停止。 つまり、攻撃されても助けは来ない。
- 目的(政府の公式説明)
- 「犯罪率の抑制」:一年のうちこの一晩で人々が欲望を吐き出すため、残り364日が平和になる。
- 「経済の安定」:貧困層が犠牲になり、社会保障の負担が減る。
パージという設定の深化と社会への問いかけ
もし、1年に1度だけ、どんな犯罪も許される12時間が与えられたら、あなたは生き残れるか?
パージシリーズは、そんな非現実的な設定で人間の本質や道徳を観客に問いかける、非常に興味深い作品です。それは年に一度、12時間だけ全ての犯罪が合法となる「パージ制度」を通して、本作は家族や集団間の復讐とサバイバルを描き、観る者に息もつけないほどの緊張感がある作品です。
前作とは違い貧困や社会的不平等といったリアルな社会問題を背景に、主人公たちが予期せぬ事態に巻き込まれていく姿は、ホラーとドラマが融合した形で我々の心に深く響く。アナーキーの名の通り、この設定は恐怖を与えるだけでなく、犯罪を利用した人間ドラマとしての面白さも提供しています。
広がったパージの世界観
前作では「パージ」というルールの名の下この独創的な設定が、裕福な家庭内に限定されていました。そのため殺人が許可されて、殺人鬼から活かしきれていない設定を活かしきれていなく、本作はという設定を十分に活かしている映画でした。本作でパージを賛美する富裕層と、それに抗議する反パージ集団が表舞台に登場することで、「持つ者と持たざる者」の構図が浮き彫りになっていることでしょう。
法律が適用されない一夜限りの狂乱が、単なるホラーではなく、現代社会に潜む格差や分断という「病理」を炙り出す社会派サスペンスへと昇華されている点は見事です。
ただ一方で、リアリティという点で、どこか呑気に過ごす人々や慣れきってしまったかのような街の雰囲気には、少し違和感を覚えるかもしれない。「いつ自分が標的になるか分からない」という極限状況の中、パージ中に熟睡しているシーンは、その最たる例だろう。
もちろん、5年目という設定から「慣れ」として解釈することも可能だが、観客が抱く「自分だったら」という恐怖心とのギャップが、作品の説得力に影響しているようにも感じられる。この「違和感」こそが、観客に「もし本当にこんな世界になったら?」と深く考えさせる、このシリーズの奥深い部分なのかもしれない。

複数の人間ドラマが交錯する一夜限りの地獄絵図
全ての犯罪が合法化されたパージの夜という極限状況の中、主人公たちは生存をかけた選択を迫られます。例えば、復讐心に燃える者、家族を守るために武装する親、そして暴力に巻き込まれる市民たちなど様々な登場人物が複数に交わる群像劇となっています。こうした一人ひとりの行動が、愛する人や社会にどのような影響を与えるかを克明に描いています。
そして本作で登場する敵対者との対決は予測不能な展開であり、ホラーやアクションの要素だけでなく、人間の本質や、極限状況における人間関係の脆さ、そして強さを浮き彫りにしている作品でしょう。
復讐と救済のはざまで揺れる主人公
物語の中心にいるのは、警察官だった過去を持つレオ・バーンズ(フランク・グリロ)であり、彼の葛藤は鮮烈です。彼はパージの夜に、憎き相手への復讐を胸に秘めて街へ出る。だが運命は彼を孤独な復讐者にはさせず、逃げ惑う市民と出会い、彼は思わず彼らを守ってしまうのです。
心の底では「殺さなければ気が済まない」怒りを抱えながら、目の前の弱者を救う。その矛盾は、観客に強烈な問いを投げかける。「正義とはなにか」「怒りは人を救えるのか」というこの揺れ動く一人の親であり人の心に深い共感を覚えている。
仲間たちの視点──生き延びるだけではない
共に行動するのは、偶然街に取り残された人々。
- エヴァと娘カリ:低所得層の母娘は、富裕層によって“生け贄”にされかける。彼女たちの視点を通して、パージがいかに貧困層を犠牲にした制度であるかが浮かび上がる。
- シェーンとリズ:関係が冷え切ったカップルは、離婚寸前の心の距離を抱えながら、この夜に巻き込まれる。彼らは互いを責め合いながらも、やがて「生き残るには助け合うしかない」と気づいていく。
それぞれが背負う傷と秘密が、極限の状況で剥き出しになる。逃げる途中での小さな衝突や和解は、観客に“生き延びることはただ呼吸を続けることではなく、誰と共に生きるかにかかっている”と教えてくれる。
制度への鋭い批判
『アナーキー』の真の恐ろしさは、パージが単なる「犯罪解放」ではなく、国家による社会的淘汰だという点にある。貧困層は犠牲にされ、富裕層は“娯楽”として弱者を狩る。制度の背後にある新しい建国の父たち(NFFA)の思惑は、恐怖を制度化することで国を支配しようとする冷酷な思想だ。
映画は、銃撃や追跡のスリルを描きながら、その奥に潜む「国家による暴力」「格差の固定化」を鋭く突きつける。だからこそ、観客は単なるアクション映画以上の緊張感を味わうことになる。
まとめ:人間ドラマとしてのパージ
映画「パージ:アナーキー」は、前作のスケールを遥かに超えるアクションとサスペンスであり、そして社会的なテーマを盛り込んだ意欲作であります。
登場人物たちはそれぞれの矛盾に直面する。復讐か、救済か。憎しみか、愛か。こうした極限の状況は、人間の本質を浮き彫りし、単なる残酷な描写に終わることなく、観客に「人が人としてどうあるべきか」という問いを投げかける社会派サスペンスです。鑑賞後には、恐怖とともに「もし自分がその夜にいたらどうするか」という切実な問いが心に残りました。
パージという刺激的な設定の可能性を広げた本作。まだこのシリーズを見たことがない方、あるいは前作で物足りなさを感じた方にも、ぜひ一度ご覧してはいかがでしょうか。