新マトリックスの世界

1999年に公開されその異次元の想像力から生まれた映画「マトリックス」。この作品で、それまでとは違う新たな映像体験をしたという人も多いのではないでしょうか。この作品は1999年につくられた映画だとは思えない物語の展開に、頭を抱えながら必死に鑑賞した記憶がありますが本作も例外ではありません。そして2003年に「マトリックス レボリューションズ」が公開され、3部作完結となりました。
本作はその続編として2021年に公開されました。
3作目となる「マトリックス レボリューションズ」では、ネオ(キアヌ・リーブス)は人類を救うためマトリックス(仮想現実)内で元エージェント・スミス(ヒューゴ・ウィーヴィング)と一騎打ち。勝利を獲得したのち命を落としたとみられました。そして本作。ネオは、ゲーム「MATRIX」の開発者トーマス・アンダーソンとして登場します。
あれ?またマトリックスの中に閉じ込められてしまったのか?
実はその通りです。前作の戦いのあとAIに囚われ、新しいマトリックスの世界へ戻されてしまうのです。この新マトリックスの世界でトーマス・アンダーソンは、ゲーム「MATRIX」の開発者で誰もが知る有名人としてプログラムされています。そしてそこには、前作で命を落としたトリニティー(キャリー=アン・モス)も存在します。ですが、2人は全くの他人としてそこに存在しています。

この時点でお互い過去の記憶は残っておらず、それぞれの生活を営んでいます。何故2人はマトリックスに戻されたのか。運命の赤い糸とはいいますが、それが目に見えるくらい2人の間には強くかたい絆があるようです。
作中では、「ゲーム・MATRIXの世界」「新・マトリックスの世界」「現実世界」と3つの世界が登場するので、現在の自分の居場所を確認するのに忙しかったです。
ネオが人類を救ったあの日から60年後を描く

本作はネオがスミスを倒し人類をAI・機械たちから救ったあの日から、60年後の現実世界が描かれています。前作と同様に登場するのは、ネオ、トリニティーに加えロゴス号の船長だったナイオビ(ジェイダ・ピンケット=スミス)。
60年後の現実世界で人々は人類最後の砦”ザイオン”が消滅したのち、ナイオビによって造られた”アイオ”で生活をしています。60年間も姿を見せなかったネオやトリニティーは、そこでは伝説として称えられています。
技術の進化もあり、かつては殺し合う敵同士だったAI・機械と手を取り合って生活していたり、ドロドロで何が原料なのかもわからないアノ食事も改善され、イチゴまで作れてしまう世の中になっているんですね。
マトリックス内のプログラムが現実世界で姿形を手に入れるために使われるのが、”エクソモーフィック粒子”。モーフィックというぐらいだからお気づきかもしれませんが、プログラムからこの粒子を使って具現化されるのが、あのモーフィアス。前作から姿形を変えて登場します。(エクソモーフィックとモーフィアスがかかっているかは知りませんが…)
過去作品の映像とともに新しい姿が登場するので、誰が誰なのか分かりやすい造りになっていました。みんな大好きスミスも姿を変えて現れます。
1でネオが初めてマトリックスから現実世界に戻るとき、「白うさぎを追え」というメッセージにしたがってトリニティーに出会ったのを覚えていますか?今回も、トーマス・アンダーソンことネオを仮想現実の中から救う”白うさぎ”が重要人物として登場します。これはPVをみると旧作で散りばめられています。
また、マトリックスといえば電話回線を通じて現実世界と仮想現実とを行き来していましたが、本作ではまた違った移動方法が使われているので注目ですね。
本作が伝えるメッセージとは?
正直監督自身が本作をブラックコメディののりで撮っている感想がします。マトリックスという映画が、金儲けの道具になりつつあり、アンチ・フェミニズムに利用され、変わってしまった。監督と「マトリックス」ファンが、それらに中指を立てながら、20年たった2020年の映画として再構築する。リザレクション「復活」の物語となっていました。
AIが人間を超え、支配する時代。人々が疑うはずもなく生きるその世界・ましてや自分までもが偽物だというのです。マトリックス全作品を通していえることですが、目に見えるもの・手で触れるもの・耳で聞こえるものが全て真実とは限らないということですね。
そして何ものかによって支配され続けるのではなく、その過ちに気付きそこから抜け出すことが、自由や幸せへの第一歩なんだと気付かされます。
私たちが生きる世界でも同じようなことが言える場面って多いと思います。仕事、学校、家庭、テレビ、SNSなど。当たり前のように与えられてきたその環境は、果たして本当に正しいのか?私が望むものなのか?ひとつ考えてみると新しい発見があるかもしれませんね。
ラナ・ウォシャウスキー監督は、自身がトランスジェンダーであることを公表しています。そしてこのマトリックスはそれを比喩する作品になっており、そういった意味でも現在の性別が”現実であり変えられないもの”ではないということが描かれていると思われます。
そのような目線で本作を見ていくとLGBTQに触れるメタ要素も所々にみられ、ただのSFアクションではないことに気付かされ胸を打たれます。