映画『WEAPONS/ウェポンズ』は、その大胆な物語構造にあります。それは監督のザック・クレガーは、時間軸を自在に操る実験的な構成に挑んでいます。
映画『WEAPONS/ウェポンズ』は章ごとに異なる人物の視点で描かれます。まずは子供の失踪事件が視聴者に提供されます。そしてそこから登場人物の視点に移り変わります。まず教師ジェマの視点で数日間が語られ、次に父親アーチャーの同じ期間が描かれ、警察官さらに薬物中毒者、失踪しなかった子供の夫婦と様々な人物たちの視点が交錯していきます。
この手法は黒澤明監督の名作『羅生門』や、クリストファー・ノーラン監督が『ダンケルク』で用いた手法などで見られ複数の時間軸や視点を操る映画技法の系譜に連なります。
そして本作がこれらの作品と異なる点で巧妙な点は、バラバラに見える各章が、最終的に一つの場所へと収束していく構造です。それは登場人物である教師も、父親も、警察官、薬物中毒者も、それぞれ異なる経緯でこの家に辿りつくのです。それを観客は各視点を追いながら、少しずつこの家の秘密に近づいていくのです。
それはまるで複数の道が一点に向かって集まるように、物語の糸が絡み合い、やがて一つの真実を形作りこの構造が、物語に圧倒的な説得力を与えています。またクレガー監督の手腕が光るのは、単に視点を変えるだけではない点です。それぞれの章は必ず「何が起こった?!」という衝撃的な瞬間でカットアウトされます。観客は答えを求めて次の章へと引き込まれ、しかし新たな視点が提示されるのは別の時間、別の場所。謎は膨らみ続け、不安と期待が交互に押し寄せてきます。
ある章では背景でさりげなく映っていた人物が、次の章では主役として登場し、その行動の意味が初めて明かされる。一見無関係に思えた出来事が、実は密接に絡み合っていたことが判明する。この「後から分かる構造」が、物語に何重もの深みを与えているのです。
特に印象的だったのは、複数の視点が同じシーンを異なる角度から描く瞬間です。ある人物の不審な行動が、別の視点から見ると全く違う意味を持っていたことが判明するとき、映画体験は一気に高揚します。これは単なる「どんでん返し」ではなく、パズルのピースが一つずつ嵌まっていく快感に近いものがあります。
ジョーダン・ピール以降の不穏さ
映画『WEAPONS/ウェポンズ』を観て真っ先に思い浮かんだのは、ジョーダン・ピール監督の『アス』でした。全体を覆う不穏な空気感、説明されない謎の存在、そして社会への鋭い眼差し──これらの要素が『WEAPONS』にも色濃く反映されています。
深夜に一斉に家を抜け出す子供たちの映像は、それだけで背筋が凍るような不気味さを湛えています。両腕を後ろに伸ばした不自然な走り方は、一部では「Naruto走り」として知られるスタイルですが、本作ではその奇妙さが恐怖へと転化されています。
Naruto 走り
忍者アクション作品『NARUTO -ナルト-』に登場する走り方、通称「ナルト走り」は非常に有名です
ナルト走りの特徴
ナルト走りは、主人公のうずまきナルトをはじめとする多くの忍者が戦闘時や移動時に見せる、非常に特徴的な走行フォームです。
- 極端な前傾姿勢: 上半身を深く前方に倒し、まるで地面と並行になるかのような姿勢で走ります。
- 腕を後方に固定: 腕は体の前で振ることなく、肩から肘、手先までをまっすぐ後方に伸ばしたまま固定します。

このスタイルは、作中では空気抵抗を減らし、素早く移動するための「忍者らしい」走り方として演出されています。スピード感と、一般的な走り方とは一線を画すユニークなビジュアルが、視聴者に強い印象を与えました。
ただ監督自身が語るところによれば、この走り方はベトナム戦争時の有名な写真「ナパームガール」からインスピレーションを得たとのこと。子供たちが戦争の犠牲者のように扱われるという暗喩が、ここに込められているのです。
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そして作品全体に漂うグロテスクな不気味さは、アリ・アスター監督の『ヘレディタリー』や『ミッドサマー』を思わせます。露骨な暴力描写は控えめながら、生理的な嫌悪感を誘う演出は随所に散りばめられています。黒い胆汁を吐き出すシーン、ゆっくりと迫り来る何か──これらは『IT』や『イット・フォローズ』といった近年のホラー映画の優れた要素を継承しつつ、クレガー独自の文法で再構築されています。
2021年に急逝した友人トレバー・ムーア(コメディ集団The Whitest Kids U’ Knowのメンバー)への追悼の意味が、この作品には深く込められているのです。Rolling Stoneの詳細なインタビュー記事では、クレガー監督が喪失感を処理する過程で脚本を書き、登場人物それぞれに自分を投影していったこと、そしてアリ・アスター監督から「個人的な部分こそが作品を機能させる」と助言を受けたことが明かされています。

さらに、作品に繰り返し登場する「2:17」という数字には、複数の解釈が可能です。ムーアが亡くなったのは8月7日の深夜2時半頃で、7と21を組み合わせると217になります。また、『シャイニング』では部屋番号として217(映画版では237)が登場し、本作でもそのオマージュが随所に見られます。さらに深読みすれば、2017年のパークランド銃乱射事件(2月、17人の犠牲者)や、2022年に217対213の僅差で否決された銃規制法案への言及とも取れます。
このように、『WEAPONS』は表層的な恐怖だけでなく、喪失、悲嘆、そして社会の闇といった重層的なテーマを内包しています。ホラー映画という形式を借りた、深遠な人間ドラマなのです。
実力派キャストが魅せる心理劇
『WEAPONS/ウェポンズ』の物語を支えるのは、実力派キャストたちの圧倒的な演技力です。

ジュリア・ガーナーが演じる教師ジャスティンは、生き残った側の人間として町の人々から責任を問われ続けます。それは酒に溺れる姿、虚ろな表情、時折見せる激情を表現し、生存者の罪悪感を多面的に体現した演技が心を打ちます。
ジョシュ・ブローリンは息子を失った父親アーチャーを演じ、喪失の痛みを執念的な調査への情熱へと昇華させます。息子マシューを失った父親アーチャーを演じています。喪失の痛みを、執念にも似た調査への情熱へと昇華させる彼の姿は、父親の愛の深さを物語っています。興味深いのは、当初この役はペドロ・パスカルが演じる予定だったという点です。しかし、実際に完成した映画を観ると、ブローリン以外は考えられないと感じます。彼の持つ重厚さと繊細さの両面が、この役柄を完璧に肉付けしているからです。ブローリン自身も本作にエグゼクティブ・プロデューサーとして参加しており、クレガー監督への深い信頼と作品への強い思い入れが伝わってきます。
他にもオールデン・エアエンライクはジャスティンの元恋人で事件を追う警察官を、オースティン・エイブラムスはホームレスの薬物中毒者を驚くほどリアルに演じています。エイミー・マディガンは『フィールド・オブ・ドリームス』以来の大役として魔女グラディスを演じ、クレガー監督が「彼女以外にグラディスを演じられる人はいない」と絶賛する存在感を見せます。ベネディクト・ウォンは校長役として平穏な日常から狂気へと引きずり込まれる様を見事に演じ分け、ケアリー・クリストファーはクラスで唯一失踪しなかった子供アレックス役で監督の個人的な経験が色濃く反映されたキャラクターを体現しています。
ホラーとスリラーの境界を曖昧にする演出
映画『WEAPONS/ウェポンズ』は、ホラー映画として宣伝されていますが、サスペンススリラーとしての側面が非常に強い作品でした。監督のザック・クレガーが意図的にジャンルの境界線を曖昧にすることで、作品に独特の緊張感を与えています。
本作の恐怖は「何かがおかしい」という違和感から生まれます。ドアの開き方、人物の立ち位置、背景に映り込む何か──これらの細部に宿る不自然さが観客の不安を掻き立てる手法は、『ヘレディタリー』や『ミッドサマー』といったアリ・アスター監督作品に通じるものがあります。また、ジョーダン・ピール監督の『アス』のように、不穏な空気と社会批評を織り交ぜる構造も共通しています。
『シャイニング』へのオマージュ
特に印象的なのは、スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』を思わせる演出の数々です。頭でドアを突き破るシーン、長い廊下をゆっくりと進むカメラワーク、そして「部屋番号217」というモチーフ。『シャイニング』の原作小説では217号室が恐怖の舞台となり(映画版では237号室)、本作では意図的に217という数字が繰り返し登場します。老いた魔女の姿も『シャイニング』の老婆を思わせ、キューブリック作品の不気味さを現代的に再解釈しています。
複数視点という実験
構造面では、黒澤明監督の『羅生門』や『ストレンジ・ダーリン』のように複数視点を用いることで、真実の多面性を浮き彫りにしています。同じ出来事を異なる視点から描き、やがて一つの家へと収束させる手法は、『プリズナーズ』や『ゾディアック』といった優れたミステリー映画の伝統を受け継ぎつつ、超自然的な要素を加えることで独自の地平を切り開いています。
映像面では、やや彩度を落とした色彩設計が悪夢のような雰囲気を醸し出し、音響設計も巧みです。ある部屋で起こっている惨劇が隣の部屋では全く聞こえないという不自然さが、かえって不安を煽ります。また、「夢」のシーンを早い段階で明示しながらも観客を引き込む手法や、控えめなジャンプスケアの配置など、クレガー監督の緻密な計算が光ります。
喪失から生まれた物語──寄生虫、象徴、そして製作背景
寄生虫というモチーフ
映画『WEAPONS/ウェポンズ』には、「寄生虫」というモチーフが繰り返し登場します。教室のホワイトボードに書かれた文字、サナダムシについての会話、そして蟻が登場します。そしてこれらはすべて、魔女グラディスの本質を象徴しています。
グラディスは文字通り「寄生虫」として機能します。ホストとなる家族に寄り添い、彼らの生命力を吸い取りながら、自らは若さを保ち続ける。彼女が自分を「アント(Ant)」と呼ぶのも、蟻(ant)との掛け言葉になっています。
興味深いのは、グラディスの正体が徐々に明かされていく過程です。最初は単なる親戚として登場し、次第にその異様さが露呈していきます。彼女がどれほど長く生きているのかは明示されませんが、「consumption(消耗、結核の古い呼称)」という言葉を使うことから、少なくとも17世紀頃から存在している可能性が示唆されます。
象徴的なモチーフ “三角形”、”黒い枝”、”武器化(WEAPONS)”
作品には様々な象徴的なモチーフが登場します。まず、繰り返し登場する「三角形」のシンボルです。これはウィッカ(現代魔女術)における「三相の女神」を表す象徴である可能性があります。また、プレイステーションのコントローラーにおける「武器切り替え」のボタンでもあり、作品タイトル『WEAPONS』と呼応しています。三角形と数字の「6」が並んで映るシーンは、「666(悪魔の数字)」への暗示とも取れます。
グラディスが大切にしている「黒い枝」も重要です。これは魔術において使われるブラックソーン(黒刺李)の可能性があります。ブラックソーンは、枝を折ると痛みや苦しみを引き起こすとされる魔法の木で、古くから魔女と結びつけられてきました。
「武器化」というテーマは作品全体を貫いています。アルコールは苦痛を和らげる道具であると同時に、他者を攻撃する武器にもなります。薬物中毒者が使う注射器は、快楽の道具であり、同時に殺傷能力を持つ武器です。そして人間そのものが、魔女によって「武器化」されるのです。子供たちは意志を奪われ、グラディスの道具として利用されます。
中毒というテーマも重要です。薬物中毒者、アルコール依存症、そしてグラディスに支配されたアレックスの両親──彼らは皆、何かに依存し、操られています。この「依存」こそが、人を武器に変える最初のステップなのかもしれません。
このように、『WEAPONS/ウェポンズ』は単なるホラー映画ではなく、喪失、悲嘆、そして社会問題といった重層的なテーマを内包した作品なのです。
まとめ:喪失の痛みが紡ぐ、新時代ホラーミステリーの金字塔
映画『WEAPONS/ウェポンズ』は、調べてみると喪失の経験から生まれた、普遍的な物語です。監督のザック・クレガーは、友人の死という痛みを、複雑な構造を持つホラーミステリーへと昇華させました。
そして本作の魅力は、その革新的な構造にあります。「羅生門」スタイルの多視点語りは、観客を物語の迷宮へと誘い、真相へと導きます。一見バラバラに見える出来事が、やがて一つの大きな絵として結実する瞬間の快感は、他の作品では味わえないものです。
ジュリア・ガーナーとジョシュ・ブローリンという実力派俳優たちの熱演、緻密に計算された映像と音響、そしてジョーダン・ピール以降の社会派ホラーの系譜を継ぐテーマ性などこれらすべてが融合し、2025年を代表するホラーミステリーが誕生しました。
正直な話エンディングへの評価は分かれるかもしれません。しかし、そこに至るまでの旅路は、間違いなく映画史に残る素晴らしいものです。一度の鑑賞では理解しきれない複雑さを持ちながら、何度でも観返したくなる魅力に溢れています。
画面を通じて伝わってくるのは、製作陣の情熱と、喪失への向き合い方です。大切な人を失った痛み、守れなかった後悔、そして前に進もうとする勇気──これらの感情が、ホラーという形式を借りて表現されています。
ホラーファンはもちろん、ミステリー好き、そして緻密に構築された物語を愛するすべての映画ファンに、自信を持って推薦できる傑作な映画でした。




