映画「28年後…」はこれまでの「28日後…」や「28週後…」シリーズの枠を超えた新たな体験を感じる作品でした。この作品は、多くのゾンビホラーファンを熱狂させた「28日後…」や「28週後…」と同じ世界観を受け継ぐ待望の続編です。しかし、過去作を観ていなくても心配はいりません。本作単独でも十二分に楽しめる構成になっているので、この作品が初めてであっても問題なくこの世界に没入できると思います。
本作の面白さの一つは、その多様なポスター展開にあります。ポスターごとに作品の印象が大きく異なり、観る前の期待感やイメージを大きく変えてしまうのが特徴です。鑑賞前にはぜひ複数のポスターを見比べて、あなたなりの想像を膨らませてみてください。それぞれのポスターが、この映画の持つ多面性を物語っているかのようです。
そしてこのイメージをともなって「本作に何を求めて観るのか?」によって本作の評価はだいぶ分かれていると思います。おそらく本作を予告編などからゾンビパニックとして観に行くとがっかりするかもしれません。後述しますが本作は感染した人が襲うゾンビパニックの一面をもちますが、それはほんの一部分にすぎません。
純粋なゾンビホラーとしての刺激を期待していた観客の中には、物足りなさを感じたり、これまでのシリーズとは方向性が違うと感じてしまうかもしれません。正直ゾンビパニックとしてみると序盤からある程度すぎると「変な映画」というのが印象でした。




新たな恐怖と深遠な人間ドラマ
映画「28年後…」は、シリーズの原点である「28日後…」を手がけたダニー・ボイル監督が再びメガホンを取った作品です。彼の持ち味である独特のリアリティと緊迫感、そして人間心理を深く掘り下げる演出は、今回の「28年後…」でも存分に発揮されており、観る者を物語の世界へ深く引き込まれました。
物語のあらすじは、謎のウイルス(レイジウイルス(Rage Virus))が人々に感染し、凶暴化させるという、いわゆるゾンビものです。始まりは2002年『28日後…(28 Days Later)』で、ケンブリッジの研究所で怒りを制御する目的で開発されたウイルスであったが、エボラウイルスの変異体として、当初の治療効果とは逆に感染者を激昂状態へと導くものに変異させてしまいます。ウィルスは血液や唾液から感染し、感染後わずか10〜30秒で症状(激しい嘔吐・痙攣・出血など)が発現します。
そんなウィルスが蔓延した世界で本作の特徴としてウィルスパンデミックはおきますがかろうじてウイルスの拡散は英国本土内に限定され、欧州流出はフランスによって防がれたという設定 となっています。なので人類文明の全てが退廃したわけではなく英国に限定されたものとなっています。
この英国を舞台が封鎖されたイギリスである点は過去作と共通しており、このシリーズの大きな特徴である「走るゾンビ」も今作で健在!そのスピーディーで圧倒的な動きは、観客にこれまでにない恐怖を体験させてくれます。

特に印象的だったのは、新たに登場する「アルファ」と呼ばれる感染者です。予告編にも登場するこのアルファは、想像を絶する恐ろしさでした。
これは単純に大男なだけでの野蛮人というわけではなく、動物や人の頭を脊髄を取り出すシーンがありこれは特に印象てきでした。
このシーンは本当に生生しいので観るのに注意が必要です。他にもやで感染者を射るシーンが多数ありこれも残虐で正直PG12ではR15もしくはR18の指定でもよい気がしました。
閉塞されたコミュニティ
序盤は少年が父親と共に狩りに出るところから始まります。これがどこかドキュメンタリーを思わせる粗い画質と、奇妙な軍歌が相まって、そのシーンは一種の洗脳のような不気味さをまとっていました。観ている者に多くのことを考えさせる、非常に示唆に富んだ場面だったと言えるでしょう。
また狩りのシーンはひたすら息苦しい展開が続きます。荒廃しきった世界の中で、主人公である少年が必死に生き延びようとする姿が克明に描かれます。特に印象的なのは、広角の画角と、登場人物にぐっと寄ったクローズアップショットが多く使われている点です。これにより、観客はまるでその場にいるかのような圧倒的な臨場感と、逃げ場のない閉塞感を同時に味わうことができます。

中盤でガラッと変わる作風と、外の世界への冒険
スパイクは狩りから帰り病気の母親を連れて外の世界へ飛び出すことになります。そんなシーンになると作品の雰囲気は一変します。前半の息苦しさから解放されるような、美しい映像が続くのです。これは、主人公の少年が内面的な鬱憤を晴らし、視野を広げていく姿を表現しているようでした。
本作はまるで映画「クリエイター/創造者」のように、少年と母親がイングランドの田園風景をひたすら旅する物語になります。広大な自然の美しさが際立ち、たたずむ風景や菜の花の中を進むシーンは特に印象的です。この辺りから本作が単なるゾンビものではないことが示されていきます。

またこの冒険を通して、彼は様々な出会いを経験します。これまでの閉じられたコミュニティにはない世界を見ることになり、そしてこれまで父親という守護者がいたときとは違い一人で生きることになるのです。それはこれまで父親へ意見を求めて判断を仰いでいたのとは違い、一人で判断をし決断をすることになるのです。
そして英国の外からやってきたNATOの戦闘員との出会いは印象を残りました。NATOの登場シーンは突然すぎてなんだろう?と思っていたら、この戦闘員は観客が持つ普通の人でした。スマホを持ち、彼女をもち、仕事をしているのです。それは現代的な感覚を持つ彼と、荒廃した世界で生きる少年たちの対比は、「異常な世界」の中で「普通であること」の重要性を改めて感じさせられました。
終盤の展開と残された謎
目的地であるスパイクはケルソン先生と出会います。そしてケルソン先生は医者が聖職者であり、伝道者として登場します。そして本作が序盤から終盤に溶けてラスボスと思っていたアルファが倒して終わりと思いきやまったく違う方向に進むのです。
ケルソン先生が過ごす場所は、まさに死者への畏敬の念を感じさせるものでした。そこは骸骨が積み上げられた異様であり異質な空間です。そしてケルソン先生はこう言います。
メメント・モリ(memento mori)
死を想え
この舞台になる場所で似たような場所は、セドレツ納骨堂(チェコ・クトナー・ホラ)や「パリ・カタコンブ」があります。
セドレツ納骨堂(チェコ・クトナー・ホラ)

「メメント・モリ(Memento mori)」とは
ラテン語で「死を記憶せよ」「死を思え」といった意味を持つ言葉です。古くからキリスト教の教えや芸術作品において、人間はいつか必ず死を迎えるという真理を忘れず、生を全うすることの重要性や、現世の儚さを意識させるために用いられてきました。
そしてあらためて序盤のコミュニティでの「死」への違いが出てきます。コミュニティでは死者はただ死んだだけの存在として扱われています。墓標も十字架が刺さる簡素な墓でしかなかったものが、ここではまるで「メメント・モリ(死を思え)」を体現するような、生者への感謝と神との関係性を伝える舞台装置として描かれています。これは、単なるゾンビ映画の枠を超え、死生観や信仰といった深いテーマへと誘うシーンでした。
スパイクは新しい「死」を体験しもう少年ではなくなるのです。
まとめ:少年が大人になる通過儀礼
「28年後」は、単なるゾンビパニック映画ではありません。むしろ、思春期を迎えた少年の成長を描くヒューマンドラマと言えるでしょう。これまでの世界が壊れ、新しく再生していく中で、不確かな感情を抱えながらも一歩踏み出し、成長していく物語でした。