映画『MEN 同じ顔の男たち』でまず目を奪われるのは、その圧倒的な映像美でしょう。イギリスの田園風景は、まるでターナーの絵画のような美しさで描かれます。苔むした石壁、雨に濡れた木々、朝靄に包まれた草原があり、これらの自然描写は、単なる背景ではありません。それはむしろ、主人公ハーパーの内面を映し出す鏡として機能しているのです。
特に印象的なのは、トンネルでのエコーシーンです。ハーパーが声を響かせると、その反響音が幾重にも重なり、やがて不協和音となって返ってきます。この場面は、彼女の内なる叫びが、男性社会という巨大な壁に跳ね返される様子を見事に象徴しています。美しい自然の中に、じわじわと不穏な空気が立ち込めていく演出は、まさにガーランド監督の真骨頂と言えるでしょう。
ロリー・キニアの怪演が生む、不気味な違和感
映画『MEN 同じ顔の男たち』の特徴は、ロリー・キニアが村の男性全員を演じるという大胆な演出です。しかし、これは単なる奇抜なアイデアではありません。管理人として現れた彼は、最初は人当たりの良い紳士として振る舞います。「禁断の果実ですね」と冗談めかしてリンゴを指さす場面は、一見無害に見えますが、その裏に潜む支配欲を暗示しています。
神父として現れた時は、ハーパーの苦悩に耳を傾けるふりをしながら、結局は彼女に罪悪感を植え付けます。警官として登場すれば、彼女の訴えを軽視し、少年の姿では下品な言葉で威嚇します。キニアは、それぞれの役で微妙に演技を変えながらも、根底に流れる「男性的な暴力性」を一貫して表現しているのです。
特筆すべきは、彼らがすべて「善意」の仮面を被っていることです。助けようとする、守ろうとする、導こうとする——しかし、その裏には常に支配欲が潜んでいます。この二面性こそが、映画『MEN 同じ顔の男たち』の恐怖の核心なのです。

静かなる抵抗と、究極のボディホラー
主演のジェシー・バックリーの演技は、まさに圧巻の一言でした。多くのホラー映画のヒロインが悲鳴を上げて逃げ惑うのに対し、彼女のハーパーはほとんど叫びません。代わりに、表情と身体言語で恐怖と怒り、そして最終的には諦念を表現するのです。
夫との回想シーンは特に印象です。「離婚したら死んでやる」と脅す夫に対し、彼女は疲れ切った表情で「勝手にすれば」と返します。この場面での彼女の演技は、感情的な虐待に耐え続けた女性の疲労感を、痛いほどリアルに表現しています。
そして、この静かな抵抗が爆発するのが、クライマックスの「男性の出産」シーンです。裸の男が次々と自分自身を産み落としていく様子は、映画史に残る衝撃的な映像です。グロテスクでありながら、奇妙な美しさすら感じさせるこの場面は、単なるショック演出ではありません。男性社会が延々と自己複製を繰り返す様子を視覚化した、極めて知的なメタファーなのです。ハーパーがこの異様な光景を前にして見せる、恐怖と諦観が入り混じった表情は、彼女がついに男性性の本質を目の当たりにした瞬間を物語っています。
神話的象徴が紡ぐ、多層的な現代寓話
映画『MEN 同じ顔の男たち』には、重要なモチーフが散りばめられています。教会で登場するグリーン・マン(緑の男)とシーラ・ナ・ギグ(女性器を露出した女性像)の石像は、実際にイギリス各地の教会に存在する、キリスト教以前の異教的シンボルです。自然の再生を司るグリーン・マンと、豊穣と魔除けの象徴であるシーラ・ナ・ギグ——この二つの対比が、男性性と女性性の原初的な対立を表現しています。

この神話的要素は、映画全体の解釈に多様性をもたらします。すべての男が同じ顔なのは、ハーパーの心理的投影なのか、それとも実際の超自然現象なのか。映画は明確な答えを提示しません。ある見方では、これはPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむ女性の内的体験を視覚化した作品と読めます。別の見方では、家父長制社会の構造的暴力を寓話的に描いた社会派ホラーとも解釈できます。
#MeToo運動以降、ジェンダーをめぐる議論が活発化する現代において、映画『MEN 同じ顔の男たち』は極めてタイムリーな作品です。ガーランドは、これらの古代のシンボルを現代的な文脈で再解釈することで、男性による女性の支配が人類の歴史に深く根ざした構造的な問題であることを示唆しています。この多義性と時代性こそが、映画『MEN 同じ顔の男たち』を単なるホラー映画から芸術作品へと昇華させているのです。
まとめ:恐怖の先にある、深遠なる問いかけ
映画『MEN 同じ顔の男たち』は、ホラー映画の形式を借りながら、現代社会の最も根深い問題に切り込んだ意欲作です。R15指定ながら、その過激な映像表現は決して悪趣味ではなく、テーマを深化させるために必要不可欠な要素として機能しています。
そして本作は万人向けの作品ではありません。正直なところ曖昧な結末を好まない観客や、グロテスクな表現が苦手な方には勧められません。しかし、映画という表現形式の可能性を信じ、新しい体験を求める観客にとって、これは必見の作品です。
アレックス・ガーランドは映画『MEN 同じ顔の男たち』で、ホラーというジャンルが持つ可能性を極限まで押し広げました。それは単に恐怖を与えるだけでなく、観客に深い思考を促し、社会の闇を照らし出す鏡となり得ることを証明したようなホラーサスペンス映画でした。