映画『非常宣言』は、フィクションでありながら現実感に満ちたウイルス描写にあります。コロナ禍以前に企画されたという映画『非常宣言』ですが、2020年のパンデミックを経験した私たちには、まさに「起こりうる恐怖」として迫ってきます。
特に印象深いのは、機内で最初の感染者が血を吐いて倒れるシーンです。周囲の乗客たちが「感染者から離れろ」と叫び、パニックに陥る描写は、マスク着用やソーシャルディスタンスが当時日常となった現代の観客には痛烈に響きます。ハン・ジェリム監督は、単にウイルスの物理的恐怖だけでなく、それが引き起こす人間関係の分裂や差別意識まで丁寧に描き出しています。
テロリストのジンソク(イム・シワン)の造形も秀逸です。狂気的な動機よりも、現代社会への絶望から生まれた自暴自棄な青年として描かれており、どこか同世代の観客には身近な恐怖として感じられるでしょう。K-POPアイドル出身のイム・シワンが見せる、無表情な微笑みの奥に潜む狂気は背筋が凍る思いでした。
地上と空中で繰り広げられる二重の人間ドラマ
映画『非常宣言』の構成で特筆すべきは、地上の捜査パートと機内のサバイバルパートを平行して描いた点です。妻を救おうとする刑事イン・ホをソン・ガンホが、娘を守ろうとする元パイロット ジェヒョクをイ・ビョンホンが演じ、それぞれが異なる場所で家族愛を貫く姿が感動的です。
ソン・ガンホの演技は相変わらず素晴らしく、冷静な刑事でありながら妻への愛情で揺れ動く複雑な感情を巧みに表現しています。特に、妻との電話が途切れる瞬間の表情には、言葉では表せない絶望感が込められていました。
一方のイ・ビョンホンは、飛行機恐怖症という弱点を抱えながらも、最終的には元パイロットとしての技術で乗客を救う英雄的な役どころを演じています。墜落寸前の機体を立て直すシーンでの鬼気迫る表情は、まさに役者魂を感じさせるものでした。
国際政治の現実と人間性への問いかけ
映画『非常宣言』で最も心を打つのは、各国が着陸を拒否するシーンです。アメリカ、日本、そして最後には母国韓国までもが「自国民の安全」を理由に着陸を拒否する冷徹さは、観ていて胸が苦しくなります。
しかし、映画『非常宣言』はそんな政治的判断を一方的に批判するのではなく、その複雑さも描いています。韓国の空港で繰り広げられる賛成派と反対派のデモは、まさに現代社会が直面するジレンマそのものです。「感染者を受け入れるべき」という人道主義と、「自分たちが感染するリスクは負えない」という現実主義の対立は、コロナ禍で私たちが実際に経験したものでした。
人間の善性を信じさせる瞬間
特に印象的なのは、機内で横暴だった中年男性が、最終的に自分の行いを反省するシーンです。女子高生からの「私たちを受け入れなかったでしょう」という言葉に「すみません」と謝罪する瞬間には、人間の持つ善性への希望を感じました。
ウイルスパンデミックものとの類似
航空パニック映画としては『フライトプラン』や『スネーク・フライト』などの先例がありますが、映画『非常宣言』はウイルスという現代的な脅威を持ち込んだ点で独自性があります。また、同じく感染パニックを描いた韓国映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』との比較では、より現実的で政治的な視点が加わっている点が特徴的です。
特に『新感染』では最後まで政府への批判的な視点が貫かれていましたが、映画『非常宣言』では政府関係者(チョン・ドヨン演じる交通部長官)も人間的な葛藤を抱える人物として描かれています。この複眼的な視点こそが、映画『非常宣言』をより成熟した社会派映画にしていると感じました。
コロナ禍が生んだリアリティ
国際的な視点で見れば、まさにコロナ禍で私たちが目撃した「国境封鎖」の現実が描かれており、グローバル化の時代における国家エゴイズムへの鋭い批評となっています。パンデミック映画は数多くありますが、実際のパンデミックを経験した後に観る映画『非常宣言』は、これまでのどの作品よりもリアルな恐怖として響くでしょう。

映像・演出・キャストが織りなす完成度
演出面において航空機内の撮影は、実際の機材を使用したというだけあって、狭い機内での閉塞感が見事に表現されています。墜落シーンでは、乗客やCAが天井に叩きつけられる映像を回転カメラで撮影し、観客もまるで機内にいるかのような恐怖体験を味わえます。
ただし、このシーンについては若干やりすぎ感もありました。あまりに長時間続くため、途中で恐怖よりも「いつまで続くのか」という疑問が湧いてしまいます。もう少し短くまとめた方が効果的だったかもしれません。
物語構成の巧みさと若干の課題
脚本構成は非常に巧妙で、147分という長尺を感じさせない緊張感を維持しています。特に序盤の人物紹介から中盤のウイルス発生、終盤の各国による着陸拒否まで、段階的に危機をエスカレートさせていく手法は見事です。
ただし、若干の粗も感じられます。特に終盤の展開では、やや都合よく事が運びすぎる感があり、リアリティを重視してきた前半部分との整合性に疑問が残ります。また、一部のキャラクター(特に機内のサブキャラクター)については、もう少し掘り下げがあればより感情移入できたでしょう。
それでも、全体としては韓国映画界が誇る技術力と人間描写の巧さが存分に発揮された作品となっています。『パラサイト』以降、世界的な注目を集める韓国映画の新たな代表作として、十分な完成度を持っています。
豪華キャストによる重厚な演技
主要キャストはいずれも素晴らしい演技を見せています。ソン・ガンホは『パラサイト』『スノーピアサー』に続き、映画『非常宣言』でも庶民的でありながら芯の強い男性像を好演。特に家族を思う気持ちと職務への責任感の間で揺れる刑事役は、彼の演技力があってこそ成立するキャラクターでした。
イ・ビョンホンは近年の作品の中でも特に印象的な役柄で、飛行機恐怖症という弱点を持つ元パイロットという複雑な設定を見事に演じ分けています。娘との関係性も自然で、父親としての愛情が痛いほど伝わってきます。
チョン・ドヨンも交通部長官役で安定した演技を披露。政治的な立場と人間的な感情の板挟みになる役柄を、威厳と優しさの両方で表現しています。

まとめ:コロナ禍を生きた私たちへの希望のメッセージ
映画『非常宣言』は、単なる娯楽映画の域を超えて、現代社会への重要な問題提起を含んだ作品です。ウイルスパニックという設定を通して、私たちは果たして危機の際に人間性を保てるのか、国家や個人のエゴイズムを超えて連帯できるのかという根本的な問いを投げかけています。
特にラストシーンで描かれる、乗客たちが下す「ある決断」は、まさに現代の私たちが学ぶべき教訓に満ちています。自己犠牲と社会責任について考えさせられる、重厚でありながら希望に満ちた結末は、観終わった後も長く心に残ることでしょう。
韓国映画の新境地を開いた意欲作として、そして現代を生きるすべての人に向けたメッセージ性の強い作品として、映画『非常宣言』は多くの観客に観てほしい一作です。コロナ禍という現実を経験した私たちだからこそ、この映画が持つ真の恐怖と希望を理解できるのかもしれません。




