映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』を観て最初に感じたのは、その徹底したミステリーの「お約束」への忠実さでした。それは田舎の大きな屋敷、大富豪の不審死、遺産を巡って集まる癖のある一族、そして登場する名探偵。まさに古典ミステリーのテンプレートそのものです。
しかしライアン・ジョンソン監督は、この「お約束」をただなぞるだけでは終わりません。作中の登場人物たち自身が、この状況をメタ的にイジるのです。警察は事件現場を「下手なミステリーの舞台だな」と評し、探偵ブランは遺言の読み上げシーンを「確定申告がテーマの素人演劇が始まるぞ」と揶揄します。
この自己言及的なユーモアは、ライアン・ジョンソンの作家性そのものです。彼の過去作『ブラザーズ・ブルーム』は、冒頭で「詐欺師の物語はもう聞き飽きた」と宣言し、『LOOPER/ルーパー』では「タイムトラベルは複雑だから説明しない」という荒業を見せました。『最後のジェダイ』では、カイロ・レンが仮面を壊してスター・ウォーズの「お約束」から脱却しようとしました。
つまり、ライアン・ジョンソン作品における登場人物は常に、ジャンルの「お決まり」に縛られた存在なのです。そして彼らは、その物語から脱却しようと試みます。映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』もまた、この構造から外れません。
豪華キャストが紡ぐ、緻密な人間ドラマ
映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』の魅力を支えるのは、実力派俳優たちによる熱のこもった演技です。撮影現場では、ベテランと若手が切磋琢磨し、一人一人が役柄に深く没入していきました。この情熱的な取り組みが、画面に映し出される緊張感と躍動感を生み出しているのです。
ダニエル・クレイグの怪演が光る探偵像
ダニエル・クレイグが南部訛りの探偵ブノワ・ブランとして登場した瞬間に007のジェームズ・ボンド役で知られる彼が、まったく新しいキャラクターが現れました。また英語のレビューアーを聞いてみると南部訛りがすごくて「本当にダニエル・クレイグなのか?」というレビューを多々見受けられました。それほどこれまでのダニエル・クレイグとは一線を画した役だったのです。
また彼の演技は、意図的に誇張されたものに感じました。それはウィンクしながら視聴者にジャンルのお約束を示すような、メタ的な演技と言えるものに感じました。けれどもそれは彼が真剣にこの役柄に向き合っているようでした。そして後半に暗闇の中で葉巻を燻らせるシーンでは、その葉巻の先端だけが赤く光り、探偵ブランの謎めいた存在感を際立たせてるようでした。
このダニエル・クレイグの演技は彼のコミカルでありながら威厳を保ち、飄々としながらも鋭いものであり、このバランスを見事に体現したクレイグの演技は、映画全体を牽引する原動力となっているもでした。
アナ・デ・アルマスが体現する物語の核心
映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』でもう一人、注目すべきはアナ・デ・アルマス演じる看護師マルタです。彼女は移民という立場に置かれた人物の繊細な感情を、丁寧に掘り下げていきました。そして彼女には面白い設定があります。それは嘘をつくと吐いてしまうのです。
この設定が、映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』に独特のユーモアとサスペンスをもたらします。探偵ブランにとって、マルタは「オート型人間嘘発見器」となり、ホームズにとってのワトソンのような相棒となるのです。

アナ・デ・アルマスの演技は繊細で、感情の揺れ動きを丁寧に表現しています。彼女は『ブレードランナー 2049』など多くの作品に出演してきましたが、映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』では大きな役柄を与えられ、その演技力を存分に発揮しています。また007/ノー・タイム・トゥ・ダイ(No Time to Die)でダニエル・クレイグと少し時間ですが共演を果たしています。
特に印象的なのは、物語の中盤以降、主人公が探偵ブランからマルタへと移行する展開です。彼女は自らが犯した「医療ミス」を隠蔽しようと奔走し、同時に何者かからの脅迫に怯えます。ミステリーがサスペンスへと華麗に変貌する瞬間です。
スロンビー一族を演じた実力派たちの饗宴
映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』のもう一つの魅力は、スロンビー一族を演じる豪華キャストです。撮影現場では、ベテラン俳優たちがそれぞれの個性を最大限に発揮し、まるでコメディ映画の主役を張れるような魅力的なキャラクターを創り上げていきました。

ジェイミー・リー・カーティスは、いけ好かない金持ち娘リンダを熱演。トニ・コレットは、「あなたのオーラが見えるわ」と言い出しそうなスピリチュアル系インフルエンサーのジョニを演じます。そしてクリス・エヴァンスは、キャプテン・アメリカの爽やかなイメージを完全に捨て去り、汚い言葉を連発する問題児ランサムを見事に体現しています。
特にクリス・エヴァンスには、象徴的なシーンがあります。彼が犬を嫌うふりをしなければならないシーンです。犬好きで知られる彼にとって、これは最も難しい演技だったかもしれません──もちろん、これは冗談ですが、彼の演技は素晴らしいものでした。
全員が一癖も二癖もある人物を演じ、その演技合戦が映画全体に活気を与えています。
ジャンルを超える構成と社会への鋭い眼差し
映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』の真価は、単なるミステリー映画の枠を超えた、その大胆な構成と深いテーマ性にあります。
予想を覆す三段階の物語構造
映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』の構成は驚きに満ちています。まず通常のミステリー映画であれば、最後の最後まで犯人を隠し通します。観客は「誰が犯人なのか?」という問いを抱きながら物語を追います。しかし、映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』は、その約束事を破ります。中盤で真相の一部が明かされ、残り1時間以上もあるのに、観客は「これからどうなるのか?」と戸惑うことになるのです。
そこから映画は、ミステリーからサスペンスへと変貌します。それはマルタを主人公として、彼女がいかにして証拠を隠蔽し、脅迫者から逃れるかというサスペンスが展開されるのです。また驚くべきことに、終盤でまたミステリーへと回帰しているのです。
メタ的な視点が生み出す知的な遊び
ライアン・ジョンソン作品の魅力の一つは、そのメタ的な視点があります。それは映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』も例外ではありません。
作中の登場人物たちは、自分たちが「ミステリー映画の登場人物」であることを自覚しているかのように振る舞います。警察はこの状況を「下手なミステリーの舞台」と評し、探偵ブランは遺言の読み上げを「素人演劇」と皮肉ります。
このメタ的な視点は、観客に知的な快楽をもたらします。私たちは、ジャンルの「お約束」を熟知しています。そして映画もまた、その「お約束」を知っています。この共有された知識が、映画と観客との間に特別な関係を築くのです。
さらに興味深いのは、このメタ的な視点が単なるギャグに留まらず、物語のテーマへと繋がっている点です。作中の人物たちは、ミステリーというジャンルの「お決まり」の物語を生きることを強要されます。しかし彼らは、その物語から脱却しようと試みます。そして、その選択が物語をハッピーエンドへと導くのです。
階段が象徴する階級構造の視覚化
映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』は、単なるミステリー映画ではありません。その裏には、現代アメリカ社会への鋭い批評が隠されています。それは「階段」というモチーフです。ハーランの屋敷は驚くほど多くの階段を持っています。この階段という構造が明確な上下関係を示しています。ハーランの部屋は屋敷の最上階にあり、家政婦たちの部屋は最下層にあります。一族が集まる大広間も、ハーランの部屋からは遥か下です。
この階段の多さは、ロバート・アルトマン監督の『ゴスフォード・パーク』を思い起こさせます。実際、ライアン・ジョンソンは編集室に『ゴスフォード・パーク』のポスターを貼っていたと報告されています。『ゴスフォード・パーク』もまた、階段と上下の高低差を用いてイギリスの階級制度を視覚化した作品でした。

映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』も同様です。階段が繋ぐ上下の高低差が、富裕層と移民の間の階級の差を表しています。マルタは移民であり、スロンビー一族は彼女を見下しています。興味深いのは、一族の誰もがマルタの出身国を正確に把握していない点です。ある者はパラグアイと言い、別の者はウルグアイと言います。この無関心さが、一族の偏見を如実に示しているのです。
そして、この構造が最も効果的に機能するのが、映画のラストシーンです。移民であるマルタが、自らの選択と優しさによって屋敷を相続し、最も高い場所に立ちます。皮肉にも「My House, My Rules」と書かれたマグカップを手に、彼女は屋敷のバルコニーからスロンビー一族を見下ろします。

かつて屋敷の外から来たマルタは、今や屋敷の頂点に君臨しています。そしてスロンビー一族は、彼女を見上げることしかできません。この視覚的な逆転が、現代社会の階級意識とその爽快な転覆を見事に表現しています。この展開は、『パラサイト 半地下の家族』と共通するテーマを持っていますが、映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』は爽快な逆転劇を提示します。
ライアン・ジョンソンの映画作家としての挑戦と完成度
映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』の制作過程では、ライアン・ジョンソン監督の映画作家としての情熱と野心が随所に表れています。脚本執筆から撮影、編集に至るまで、彼の一貫したビジョンが作品を貫いているのです。
撮影現場で磨かれた映像美とリズム
撮影現場では、ライアン・ジョンソン監督と撮影監督のスティーヴ・イェドリンが、視覚的に美しい映像を追求しました。二人は『ブリック』以来の長い付き合いで、互いの創造性を引き出すパートナーシップを築いています。
本作で特に印象的なのは、証言と回想シーンの編集です。探偵ブランが一族の証言を聞くシーンでは、会話と回想が巧みにカットバックされ、テンポ良く進行します。編集室では、ジョンソン監督が何度も繰り返しシーンを見直し、最適なリズムを追求しているようでした。
また、屋敷の構造を丁寧に見せる演出も秀逸です。冒頭で屋敷の全体像が示され、観客は階段の多さとその上下関係を把握します。美術チームは、この階段の配置に特別な注意を払い、物語のテーマを視覚的に表現することに成功しました。
色彩設計も計算されており、全体的に温かみのある色調が、コメディとしての親しみやすさを支えています。同時に、暗闇の中で葉巻を燻らせるシーンなど、ミステリーらしい緊張感も損なわれていません。
アガサ・クリスティーへの敬意と革新
映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』は、明らかにアガサ・クリスティーへのオマージュです。田舎の屋敷、大富豪の死、遺産を巡る一族の争い、そして名探偵──すべてがクリスティー作品のテンプレートに従っています。
ジョンソン監督は脚本執筆の段階から、クリスティー作品を何度も読み返し、古典ミステリーの構造を徹底的に研究しました。特に、「全員が容疑者」という構造は、クリスティーの『そして誰もいなくなった』を思い起こさせます。スロンビー一族の全員が、ハーランを殺す動機を持っています。
しかし、ライアン・ジョンソンは単なる模倣では終わりません。彼はクリスティーの作品を現代によみがえらせると同時に、ミステリーというジャンル自体にひねりを加えます。序盤で真相の一部を明かすという大胆な構成は、クリスティーでは決して見られないものです。
この「オマージュと逸脱」のバランスこそが、映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』の真骨頂と言えるでしょう。古典への敬意を示しながらも、決してそこに留まらない──これぞライアン・ジョンソンの映画作家としての姿勢です。
第三幕とその課題
ただ映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』にも気になる点はあります。それは第三幕の展開です。
第一幕と第二幕は、ジャンルの「お約束」を逆手に取った斬新な展開で観客を魅了します。しかし第三幕に入ると、やや駆け足気味になり、予想可能な展開が増えてきます。ライアン・ジョンソンは観客を特定の方向へと誘導しますが、その誘導が少々あからさまで、結末が見えてしまう瞬間があります。
また、一部のキャラクターが使い捨ての役割に留まっている点も惜しまれます。例えば、スマートフォンに張り付いている若い一族の一人は、「最近の若者」というステレオタイプのジョークとして機能するだけで、キャラクターとしての深みがありません。映画全体が非常に賢く作られているだけに、このような一面的なキャラクターは少々物足りなく感じられます。
さらに、屋敷の外で展開されるシーンは、屋敷内のシーンほど緊張感がありません。密室劇としての魅力が薄れてしまう印象でした。
まとめ:ジャンルを超えた知的な快楽
映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』は、古典ミステリーの装いを纏いながら、その実、ジャンルそのものを解体し再構築する野心的な作品でした。キャストのダニエル・クレイグの怪演、アナ・デ・アルマスの繊細な演技、豪華キャストによる演技合戦のすべてが高いレベルで機能しています。
そしてライアン・ジョンソン監督は、ミステリーというジャンルに新たな可能性を示しました。序盤で真相を明かし、ミステリーからサスペンスへ、そしてまたミステリーへと転換する構成は、観客の予想を次々と裏切ります。
同時に、移民問題や階級主義といった現代的なテーマを織り込むことで、単なるエンターテインメントを超えた社会派作品としての深みも獲得しています。
第三幕にやや物足りなさは残りますが、それを補って余りある魅力がこの映画にはあります。古典ミステリーのファンも、ライアン・ジョンソン作品のファンも、そして単に良質なエンターテインメントを求める人も、きっと満足できる作品でしょう。
「My House, My Rules」。マルタがバルコニーから一族を見下ろすラストシーンは、映画全体のテーマを見事に視覚化しています。物語からの脱却、階級の逆転、そして何より、自らの選択によって運命を切り開く勇気を感じられます。
映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』は、ミステリー映画の新たなスタンダードを打ち立てた傑作ですので、VODで気軽に視聴できる今、ぜひこの知的な快楽を体験してみてはいかがでしょうか。




