多くの人が「著名なアメリカ合衆国の大統領」を問われれば思い浮かべるのが、エイブラハム・リンカーンではないでしょうか。そしてリンカーン大統領を題材にした作品は数多くあります。
そんな彼がもしもヴァンパイアハンターとして活躍していたらという、ファンタジーなIFの世界線を描いた作品が、映画『リンカーン/秘密の書』になります。これまで多くのヴァンパイアものの作品に携わってきたティム・バートンを製作に迎え、ヴァンパイアものを多く手掛けたセス・グレアム=スミスを脚本に迎えた本作は、ヴァンパイア作品の系譜に新たな風を吹き入れた作品となっていました。
あのリンカーンがヴァンパイアハンター!?
映画『リンカーン/秘密の書』の特筆するべき点は、やはりリンカーンがヴァンパイアハンターという斬新な設定でしょう。この設定だけで多くの人の注目を集めたことは、容易に想像できます。そして本作は小説『ヴァンパイアハンター・リンカーン』の映画化作品ですが、原作者自身が脚本を担当しており、原作との矛盾は少なかったと思います。
グレアム=スミスの代表作といえば、本作よりも後に映画化された小説『高慢と偏見とゾンビ』です。
イングランドを代表するジェイン・オースティンの名作『高慢と偏見』の本文をそのまま大胆に引用し、オリジナルで創作されたゾンビ物語を挿入することで、ホラー小説に仕立ててしまうという奇想天外な発想とオリジナリティで世界中から支持を集めた作品です。この人気の影響を受けてか、続けて発表されたのが『ヴァンパイアハンター・リンカーン』でした。
ジョン・ポリドリの小説『吸血鬼』からフィクションとしてのジャンルが確立されたヴァンパイア物ですが、最も有名な作品と言えば、ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』でしょう。作中でドラキュラ伯爵討伐に関わる人物の一人が、エイブラハム・ヴァン・ヘルシング教授です。彼はあくまでも老学者として小説に登場しているのですが、後の創作や翻案では主役とされることが多く、ヴァンパイアハンターの代表として語り継がれているキャラクターです。リンカーンと同じ「エイブラハム」という名前を有しているので、このあたりをかけてリンカーンがヴァンパイアハンター、とい設定に至ったのであろうことが容易に想像できて、面白いなと感じました。
誰もが知るリンカーンの新たな物語
映画『リンカーン/秘密の書』の大筋は、リンカーンの半生を辿っています。唯一異なっているのは、ヴァンパイアの存在です。この仕掛けは『高慢と偏見とゾンビ』と同様です。このような作風の利点は、キャラクターやストーリーの背景についての説明をある程度省けること、キャラクターの物語を深掘りして描かずに、他の展開に時間を割くことができることにあります。これらをうまく活用することで、よりスピーディーな作品に仕上げることができます。
しかしながら、この映画ではそれがうまく機能したかというと、微妙であるといわざるを得ません。特に、アメリカ国外の受け手に対しては不親切だといえるでしょう。リンカーンは世界中で偉人として知られているとはいえ、アメリカ国外の人々が彼の歴史に深く親しんでいるかといえば、個人差があると思います。何となく、顔と名前しか知らない程度の人々にとって、この映画はリンカーンに感情移入するには展開が早すぎました。ましてや彼の周辺人物については知らない人が少なくないでしょう。

この説明が省かれたスピーディーな展開は、本作の設定説明にも適用されていて、作品の世界観が把握できない内に映画が終わってしまった印象があります。内容が盛りだくさんなのは分かりますが、もう少し丁寧に語る方法があったらよかったと思えました。
新たなヴァンパイアもの映画
映画『リンカーン/秘密の書』は2012年に公開されました。これは当時のヴァンパイアものの流れとは少し異なる作品だったのではないでしょうか。この年はちょうどヴァンパイア・ロマンスブームの代表だった映画「トワイライト・サーガ」の最終作が公開された年でもありました。社会現象となった本作は人気小説を原作としていましたが、同時期にはテレビドラマシリーズの『ヴァンパイア・ダイアリーズ』や『トゥルー・ブラッド』などが大流行していました。ヴァンパイアものというとロマンスが主流だったこの時期に、本作は毛色の違う新たなヴァンパイアものとして存在感を放っていたといえます。
ヴァンパイアとの共存ではなく、ヴァンパイアを狩るという勧善懲悪的なヴァンパイアものへの回帰を予感させた本作は、着実に新しい流れを生み出した一作ではあったと思います。けれども、ヴァンパイアものの系譜として考えると、これ以降に新しい流れができたかと問われると、そうとはいえない気もします。ロマンスモノからの反動なのか、よりダークなヴァンパイアものが好まれる傾向はありますが、メインストリームから離れている気もするからです。とはいえ、ヴァンパイアものは数世紀にわたって人々に愛されるジャンルなので、より長い目で見ると本作の捉え方も変わってくるかもしれません。

映画『リンカーン/秘密の書』は、ファンタジーの生き物であるヴァンパイアを手斧でぶった斬りるのは、やや派手さに欠けると思いますが、それを豪快なアクションで楽しませてくれました。そしてその斬新な設定から非常にユニークな作品に仕上がっています。ジャンルはホラーとされていることもありますが、そこまでホラーな印象はありませんでした。ハンターものでありスッキリしたいときにおすすめな作品となっていました。