ザック・スナイダー監督が手掛ける『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』は、DCエクステンデッドユニバースの本格始動を告げる意欲作です。前作のスーパーマンを題材にした『マン・オブ・スティール』で描かれた大規模破壊の裏側から物語は始まり、人類の救世主として現れたスーパーマンへの複雑な感情が描かれます。視覚的な迫力と新しいヒーローのワンダーウーマンの鮮烈な登場は印象敵でした。
公開背景とDCユニバースへの期待
2016年公開の本作は、マーベル・シネマティック・ユニバースの成功を受けて、DCコミックスが満を持して放つ対抗策です。『マン・オブ・スティール』(2013年)の直接的続編でありながら、同時にジャスティスリーグ結成への布石という二重の役割を担います。
監督のザック・スナイダーは、フランク・ミラーの名作『ダークナイト・リターンズ』への深いリスペクトを随所に込めており、特に年老いたバットマンの造形や、神話的な語り口は原作の雰囲気を見事に再現しています。ベン・アフレックのバットマンは、これまでとは一線を画す重厚さを持ち、ヘンリー・カヴィルのスーパーマンとの対照が際立ちますね。
ただ本作は2時間30分という上映時間に対し、予想の範囲を超える展開がほとんどありません。1番の高みであるスーパーマンとバットマンとの戦いはそんなに派手ではなかったです。神話的な重厚さを演出しようとする意図は理解できますが、結果として冗長な印象です。
またバットマンとスーパーマンの対立理由や和解の経緯には説得力に欠ける部分があります。「マーサ」という母親の名前をきっかけとした和解は、正直困惑しかなかったです。
DCヒーローのキャラクター描写の光と影
ベン・アフレックのバットマンは、フランク・ミラー風の重厚なデザインが印象的でした。筋骨隆々とした体型は、スーパーマンと対等に戦うための準備を物語っており、説得力があります。一方で、首周りの筋肉の付きすぎは、バットマンらしいしなやかさを損なっているという見方もできます。そして本作のバットスーツもこれまでに体型にフィットしたスーツではなく重厚なスーツも印象的でした。
ヘンリー・カヴィルのスーパーマンは相変わらず魅力的ですが、前作に続いて相対化ばかりされており、純粋なヒーローらしい活躍が少ないのが残念です。中盤の人命救助シーンは、ようやくスーパーマンらしさを見せた貴重な場面といえるでしょう。
マーベルとDCの根本的な違い
マーベル・コミックスとDCコミックス。アメコミ界の二大巨頭は、いまや映画界においては明らかに異なる道を進むことになったという現実が、本作を語る上で重要な前提となります。
マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)は、明るくユーモラスなトーンで親しみやすいキャラクターたちが織りなす冒険活劇として確立されました。一方、DCは神話的な重厚さと哲学的なテーマを重視し、ヒーローの内面的葛藤を深く掘り下げる姿勢を貫いています。

本作はまさにそのDCらしさを体現した作品であり、スーパーマンという存在を「神対人間」という普遍的なテーマで捉えようとする野心的な試みといえるでしょう。しかし、DCも当初はそれに倣おうとしたものの、『ジャスティス・リーグ』(2017)で挫折したように、マーベルの成功モデルを踏襲することの難しさも露呈しています。ただ監督のザック・スナイダーが娘の自殺という悲劇により監督を降板してしまい、急遽ジョス・ウェドンが後を引き継いだが、ほぼ完成していた作品の大幅な再撮影と2時間以内への編集を余儀なくされたので運が悪かったといえます。
アベンジャーズ vs ジャスティスリーグ:二つの「チーム」の本質的相違
結成プロセスの違い
アベンジャーズとジャスティスリーグの最大の違いは、チーム結成に至るプロセスにあります。『アイアンマン』(2008)に始まったマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)は、ひとつの世界観のもとにすべての作品を配置し、『アベンジャーズ』シリーズで合流させるという巨大構想を実現しました。
対照的に、本作から始まるDCの試みは、個々のヒーローの単独作品による積み重ねを十分に行わずに大集合への布石を打とうとする性急さが目立ちます。クリストファー・ノーラン監督の「バットマン」シリーズが2012年に完結したのも大きいでしょう。この違いは、両チームの化学反応にも大きく影響を与えています。
トーンの根本的相違
マーベル作品が基本的に「娯楽性」を重視し、危機的状況でもユーモアを忘れない軽やかさを持つのに対し、DCは一貫して「神話性」を追求している印象です。本作のスーパーマンが置かれた状況—議会での公聴会、世論の批判、存在への懐疑—は、まさに現代社会における権力への監視という重いテーマを扱っています。
キャラクター関係性の違い
アベンジャーズのメンバーは基本的に「仲間」として描かれ、対立があっても最終的には協力し合う関係性が構築されています。一方、ジャスティスリーグのメンバーは、本作で示されるように「必要な時だけ顔を出すドライな関係」により近いものがあります。
バットマンとスーパーマンの関係は、アイアンマンとキャプテン・アメリカのような思想の相違を超えて、より根本的な存在論的対立を孕んでいます。これは両者が共に「正義」を追求していながら、その手法と哲学が真っ向から対立するからに他なりません。
世界観構築の方法論
その後は『アクアマン』(2018)『ジョーカー』(2019)など、作品ごとに独立した路線を取ることで成功を収めつつあるという現在のDCの方針転換は、本作の試行錯誤があったからこそ実現したものです。
マーベルが「統一された世界観」を重視するのに対し、DCは「作家性を重視した多様な表現」により価値を見出すようになりました。本作はその転換点にある作品として、歴史的な意味を持つと言えるでしょう。
まとめ:神話と現実の狭間で揺れる野心作
『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』は、DCユニバースの未来を占う重要な作品として、確かに印象深い映像体験を提供してくれます。新しいヒーローのワンダーウーマンの存在感と、コミック的かっこよさを完璧に映像化した戦闘シーンは、間違いなく映画史に残る名場面です。
しかし、神話的な語り口への憧れが先行し、物語の根幹部分での説得力に欠ける部分があることも事実です。アメコミファンには満足度の高い要素が詰まっている一方で、一般観客には敷居の高い作品となっているのは否めません。
本作は今後のDCエクステンデッドユニバースの展開を考える上で、重要な作品でした。スーパーヒーロー映画における「神話性」と「娯楽性」のバランスを、私たち観客はどう受け止めるべきなのか。その問いかけこそが、この作品が残した最も価値ある遺産かもしれません。