映画『ブラックアダム』は2007年の企画発表から実に15年たった映画です。そして「筋肉で作られた映画」という言葉がふさわしい、パワー全開のエンターテインメントです。
本作最大の魅力は、従来のスーパーヒーロー映画にはない「容赦なさ」にあります。復活したブラックアダムが敵を文字通り「殺しまくる」序盤のシーンは、近年のヒーロー映画で慎重に避けられてきた直接的な暴力描写を遠慮なく描いており、観客に強烈なインパクトを与えます。一発一発のパンチに重量感があり、編集とVFXによってブラックアダムの圧倒的な力が最大限に表現されています。
ドウェイン・ジョンソンの演技も見事です。普段は飄々としているものの、戦闘時には人斬り抜刀斎のような凄みを見せる二面性の表現は、『ターミネーター2』のT-800を彷彿とさせる魅力がありました。特に少年アモンとの交流で見せるコミカルな一面—決め台詞を練習したり、ヒーローらしい振る舞いを学んだりする姿—は、堅物だが不器用なユーモアを持つキャラクターとして絶妙に描かれています。
映像表現と物語構造—パワーで補う脚本の粗さ
映画「ブラックアダム」は撮影監督ローレンス・シャーの手腕も光る作品です。『ジョーカー』の撮影も担当した彼は、登場人物の心理状態を映像で表現することに長けており、本作でもその才能を遺憾なく発揮しています。
色彩でヒーローをしっかりと区別し、ダイナミックな照明によってそれぞれのキャラクターのスタイルが確立されています。近年のヒーロー映画では状況説明のためだけに映像が使われることが多い中、本作はビジュアルの美しさと迫力で観客を楽しませることに成功しています。
特に飛行シーンの撮影は、従来のワイヤーアクションによる不自然な傾きを避けるため、水平を保てる特殊なマシンを開発し、LEDスクリーンと組み合わせることで、よりリアルな飛行感を実現しています。ブラックアダムが「心理的チェス」を好み、相手を見下ろすように浮遊する演出も効果的でした。
大雑把だが潔い物語構造
ただ本作は脚本の大雑把さが目立つ印象でした。現代のカーンダックを支配する悪役たちの描き方は驚くほど薄っぺらく、「悪魔の王冠」というアイテムを狙う動機も曖昧で、市民が苦しめられている状況もセリフで説明されるだけという有様です。
また、ブラックアダムの弱点とされる「エタニウム」の設定や、序盤で死亡するキャラクターの存在意義など、疑問に思う部分も少なくありません。JSAの存在についても、これまでジャスティス・リーグに言及されなかった理由など、ユニバース全体の整合性に課題を残しています。
しかし、これらの粗さは「細かいことは気にするな」という潔い作風の一部として受け入れることもできます。深みはないが楽しい、テンポが良くアクションも見応えがある—そんなシンプルな娯楽作品として割り切れば、十分に及第点を与えられる出来栄えです。
DCユニバースの新時代を担う者たち
JSA—待望の実写化を果たした伝説のチーム
本作のもう一つの柱となるのが、ジャスティス・リーグよりも長い歴史を持つヒーローチーム、JSAの存在です。コミックファンにとって待望の実写化となった彼らは、それぞれが独特の魅力を放っています。
特に印象的だったのはピアース・ブロスナンが演じるドクター・フェイトです。金色のヘルメットをまとい、様々な魔術で戦う彼の姿は、まさに理想的な実写化と言えるでしょう。ジェームズ・ボンドを演じていただけあって、ベテランの風格と余裕を感じさせる演技が光ります。ブラックアダムとホークマンが激しく対立する中、高みの見物を決め込む様子は実にクールで、ドクター・ストレンジとは異なる魔術師ヒーローとしての独自性を確立しています。
アルディス・ホッジ演じるホークマンも、正統派ヒーローとして素晴らしい存在感を見せています。「ヒーローは誰も殺さない」という信念を貫く彼の姿勢は、容赦なく敵を殺すブラックアダムとの対比を鮮明にし、物語に緊張感をもたらします。完全に正反対の二人が戦いの中で男の友情を育んでいく過程は、見ていて心が熱くなる展開でした。
ユニバース再建と続編への展望
映画「ブラックアダム」は、混乱を極めたDCユニバースの再建に向けた第一歩としての役割にあります。エンドクレジットでのスーパーマン登場は、「この星で最強だ」と豪語するブラックアダムに対し、「そうでもない」と示す象徴的なシーンでした。これは原作でも何度も繰り返されてきた対決の構図であり、今後の展開への期待を高めています。
また、『ザ・スーサイド・スクワッド』でおなじみのエミリア・ハーコートの出演も、ユニバースのつながりを示す重要な要素です。アーガスという秘密組織の存在が明かされ、アマンダ・ウォラーとの関係性も示唆されました。アーガスはマーベルのシールドに相当する組織ですが、より「汚い」手段を厭わない点が特徴的です。捕まえたヴィランたちを使ってスーサイド・スクワッドを結成するなど、DCらしいダークな側面が垣間見えます。
またジェームズ・ガンのDCスタジオ共同会長兼CEO就任も追い風となるでしょう。『ザ・スーサイド・スクワッド』での手腕を考えれば、今後のDCユニバースには大いに期待できそうです。正式に「DCユニバース」という名称も決定し、ようやく一貫したビジョンのもとで展開されることになりました。
JSAメンバーたちの個別作品への期待も高まります。特にドクター・フェイトとホークマンのバディムービーが実現すれば、きっと素晴らしい作品になることでしょう。また、アドリアナとその息子アモンも、原作ではヒーローになる設定があるため、今後の展開が楽しみです。
まとめ:筋肉と情熱が切り拓く新時代のヒーロー映画
映画『ブラックアダム』は、脚本の粗さ、設定の曖昧さ、キャラクター描写の不足など、指摘すべき問題点は数多くあります。しかしながら、それらすべてを補って余りある「情熱」と「パワー」に満ちた作品であることは間違いありません。
15年間の構想期間、キャスト陣の徹底した役作り、そして何より「ファンの求める映画を作りたい」という純粋な想いが結実したこの作品は、映画制作における情熱の重要性を改めて教えてくれます。アンディ・サーキスがコミコンで語った言葉—「良い演技、良いキャラクターを作る人たちはみんな情熱を持っている」—が、まさに本作を象徴しています。
深いメッセージを求める人には物足りないかもしれませんが、シンプルな爽快感と圧倒的なビジュアルを求める観客には、まさに理想的な娯楽作品と言えるのはないでしょうか。そして何より、混乱していたDCユニバースに新たな希望の光をもたらしてくれた功績は、決して小さくありません。
本作が提示したのは、「ヒーローは殺さない」という不文律への挑戦であり、「チャンピオン」という新しいヒーロー像の確立でした。ブラックアダムは最後までヒーローとは呼ばれず、あくまで民を守る「守護者」として描かれます。
筋肉とパワーで切り拓かれた新時代のヒーロー映画。その先に待つ未来に、大いに期待したいと思います。
 
 
 
 
 

