『チェンソーマン』という命が安い世界観
原作者・藤本タツキの世界
本編の魅力を語る前に、まず『チェンソーマン』という作品の本質に触れておきましょう。原作者の藤本タツキ先生は、デビュー作『ファイアパンチ』の頃から「命が安い世界観」を描いてきました。キャラクターに愛着を持たせておいて、役割が終わったらさっくり殺す。その潔さが『チェンソーマン』の大きな魅力の一つです。
そして2019年から週刊少年ジャンプで連載が始まった『チェンソーマン』は、現在第2部がジャンプ+で連載中、コミックスは22巻まで刊行され、累計発行部数は3000万部を突破しています。B級映画やホラー、スプラッター映画など、少年漫画ではあまり表現されなさそうな演出が加えられ、この作品にしかない「血や性の味がする」独特な味わいがあります。
大事な人が死んでも数ページ後には何事もなかったかのようにケロっとしているサイコパス的なデンジ、性欲以外何も考えていないバカさ。こうした従来の少年漫画主人公とは異なるキャラクター造形が、魅力だと思います。
圧倒的な映像表現、「アニメらしいアニメ」への回帰
爆発とカオスが生み出す統制された美学
アニメ映画『チェンソーマン レゼ篇』の映像は、テレビシリーズとはガラリと空気感が異なります。テレビ版がムーディで雰囲気重視だったのに対し、劇場版は「エンタメ全振り」と言えるほど、あらゆる手段で観客を盛り上げにかかります。
それは爆発しまくり、血も飛びまくり、台風の悪魔が登場した瞬間からまるでVRのジェットコースターを見ているかのように見ているだけで上下左右に動き回り画面全体がめちゃくちゃになっていくのです!
しかし、この無秩序でカオスな映像が、作品全体を通して美しく統制されているのです。スピード感抜群の戦闘シーンの中に挟まれるスロー演出が効果的に映え、緩急を巧みに使い分けた演出が手に汗握るシーンを次々と生み出します。
特に市街地での戦闘シーンは圧巻です。ビルを破壊し、町を蹂躙しながら繰り広げられる爆破とチェンソーの乱舞が、その迫力とスピード感でただただ視聴者を圧倒します。さらに、サメの魔人・ビームに乗って嵐の中を突き進むデンジの姿は、原作で読んだ時の興奮を何倍にも増幅させる映像体験をもたらしました。これは本作を制作しているMAPPAの制作力の賜物で、同制作会社が手がけた呪術廻戦「渋谷編」の「宿儺 VS 魔虚羅」を感じさせる演出でした。「宿儺 VS 魔虚羅」はTVシリーズであり、今回は劇場版となっており、さらに迫力のある演出となっていました。
クライマックスでビームと台風の悪魔が合流し、画面が瓦礫と爆発で埋め尽くされるシーンは、カロリー高すぎる怪獣バトルのような迫力で、マキシマム ザ ホルモンの楽曲が流れるタイミングも完璧でした。
光と色彩が紡ぐエモーショナルな世界
「劇場版 チェンソーマン レゼ篇」は色彩設定も見逃せません。全体的に光の表現を意識したエモーショナルな空気感が作り出されており、前半のレゼとの青春物語が印象的に残るような作りになっています。
しかし突然とサイコスリラーな色彩になり、「え?」と頭が混乱する演出もあります。さっきまでデンジとレゼが良い雰囲気となっていたら、まるで色が反転し不気味になるのです。特に夜の学校が特徴でしたね。『チェンソーマン』のサイケデリックな側面が全面に押し出された色遣いとなっていました。
レゼとデンジ、二人の心理を深く掘り下げる
レゼ:兵器として育てられた少女の切ない恋心
レゼというキャラクターは、アニメ映画『チェンソーマン レゼ篇』の核心を担う存在です。搭乗時は明るく純真に見える彼女ですが、武器人間・ボムの悪魔です。
物語の冒頭から、レゼはデンジに対して異常なほど距離感が近く接してきます。ボディタッチや思わせぶりなセリフで迫られたデンジは「この子、俺のこと好きなんじゃね」と有頂天になりますが、それはすべて計算された上でのハニートラップでした。彼女の目的は、デンジの心臓を奪うこと。任務のために演じ続けた「赤ずきん」としての純真な少女像は、すべてが嘘だったのです。
しかし、この映画が素晴らしいのは、レゼの中で芽生えた本物の感情を丁寧に描いている点でしょう。デンジと過ごす時間の中で、デンジと共に彼女はもまた「普通の時間」を体験します。そんなレゼの心理が、映画では繊細に描かれています。夜の学校のプールで泳ぎ方を教えるシーン、花火大会での約束、そして喫茶店での何気ない会話。これらのシーンで、レゼの表情や仕草の端々に、計算ではない本物の感情が滲み出ているように感じました。
そして映画のラストでのレゼの選択は、彼女が「狼」としての自分を捨て、デンジと過ごした「赤ずきん」としての自分を選んだ証でした。
ラストのセリフは、レゼの人生そのものを象徴する言葉かのようです。デンジと同じように、彼女もまた「普通」を知らない少女だった。だからこそ二人は惹かれ合い、だからこそこの悲劇は避けられなかったかのようです。
デンジ:初めて知った「普通の恋」
デンジにとって、アニメ映画『チェンソーマン レゼ篇』は成長する上でとても重要な物語でした。レゼは、デンジが漠然と憧れていた「普通の生活」がどんなものなのかを、初めて具体的に見せてくれた相手だったのです。
マキマとのいびつな主従関係とは全く違う、対等な人間同士の関係。一緒に夜の学校でドキドキしたり、夏祭りに行こうと約束したりする、そんな当たり前の青春。しかし、デンジが幸せをつかみかけたその瞬間、すべては予想もしない形で変化していきます。
デンジの格言「俺は俺のことを好きな人が好きだ」(筆者も納得してしまいましたね)が作中で語られ、レゼとの出会いは、そんなデンジにとって初めての「本物っぽい恋」でした。マキマへの憧れとは違う、等身大の青春の恋だったのではないでしょうか。
青春から絶望への美しい転落、完璧な物語構造

前半:王道のボーイ・ミーツ・ガール
アニメ映画『チェンソーマン レゼ篇』の物語構造は実に見事です。前半で描かれるのは、どこか懐かしい王道のボーイ・ミーツ・ガール。電話ボックスでの雨宿り、喫茶店でのぎこちない会話、夜の学校への忍び込み。デンジが生まれて初めて経験する「普通の青春」のきらめきが、スクリーンいっぱいに描かれます。この突然始まる恋の始まりは一見すると『チェンソーマン』らしくなく、別の恋愛ドラマをみているようでした。
特に夜の学校のプールでのシーンは、密やかで印象的なBGMも相まって本当に素晴らしく、レゼがデンジに泳ぎ方を教える場面の甘酸っぱい空気感に包まれていました。
後半:一転して絶望的なバイオレンスアクション
しかし、二人のロマンスが最高潮に達するはずのあるシーンで、物語は一気に反転します。その瞬間、一瞬にして最悪の状況へと転化し、映画全体の風景が根底から覆るのです。
これは単なるどんでん返しではありません。『チェンソーマン』という作品が持つ「デンジのいかなる幸福も、暴力的現実によって容赦なく打ち砕かれる運命にある」という残酷なテーマを、完璧に体現しているのです。
エピローグの切なさ
そして映画のラストでは、原作にはなかった演出が加えられています。レゼが働いていた喫茶店への道のり。階段や裏路地を序盤から丁寧に描いているからこそ、ラストシーンがめちゃくちゃ効くのです。
そしてエンディングロールを挟むことで、「ひと夏の青春」を綺麗に終わらせる演出も素晴らしいです。
音楽が紡ぐ感情、牛尾憲輔と主題歌の完成度
劇伴が描く感情の振れ幅
アニメ映画『チェンソーマン レゼ篇』を傑作へと昇華させた大きな要素の一つが、牛尾憲輔氏による音楽です。壮大なオーケストラサウンドとピアノを中心とした親密なアンサンブルを巧みに使い分けることで、ラブコメパートの甘酸っぱさと戦闘シーンの絶望感という、物語が持つ感情の振れ幅を見事に表現していました。
対比構造が美しすぎる主題歌
そして本作を語る上で欠かせないのが、主題歌です。オープニングを飾る米津玄師の「アイリスアウト」は、恋に浮かれ有頂天になっているデンジの心をそのまま音楽にしたような、ポップで高揚感のある楽曲でした。
対してエンディングに流れるあの「ジェイン・ドウ」は、英語で「身元不明女性」を意味する言葉であり、その存在を消され、本当の自分を誰にも知られることなく消えていった者の悲劇性と、そのどうしようもない孤独と喪失感を、エンディングとしてこれ以上なく完璧に描き切っていました。
この2つの楽曲は見事な対比構造になっています。「アイリスアウト」でデンジが「この世で君だけ大正解」とハイテンションで歌っているのに対し、「ジェイン・ドウ」では米津玄師とあのの声が重なり「この世間違いで満たそう」と歌い上げており、この美しすぎる対比が、映画本編の余韻を何倍にも深く、忘れられないものにしていました。
総集編の功績
劇場版公開前にひっそりと配信された『チェンソーマン 総集篇』の存在も見逃せません。テレビシリーズ全12話を前編と後編に再編集したこの作品は、監督を入れ替え、声優の音声を再収録したり、テンポよく再編集したりと、「総集編」とは名ばかりで、もはやテレビ版とは別物レベルの完成度でした。
現在Amazon Prime VideoやNetflixでも配信されており、新規ファンも原作ファンも、とりあえずこれを見ておけば大丈夫です。ボソボソしていたセリフが聞き取りやすくなり、テンポが改善され、テレビシリーズへの不満を見事に解消した内容となっています。

- タイトル
- チェンソーマン 総集篇
まとめ:忘れられない傷を愛しく感じる不思議な力
アニメ映画『チェンソーマン レゼ篇』は、ひと夏の青春であり、アクション映画として非常に今年を代表するものになったと思います。そして青春が突然無くなったこの作品は不思議とその傷跡がなぜか愛しく感じられる、そんな不思議な力を持った映画でした。
TVシリーズから待ちに待った3年間は、決して無駄ではありませんでした。テレビシリーズからのファンの声に応え、原作の魅力を120%引き出したこの劇場版は、『チェンソーマン』アニメ化の新たな道筋を示す歴史的な作品となったのではないでしょうか。
甘ずっぱいラブソングだと思って聞いていたら、何の予告もなくいきなり激しいデスメタルが割り込んでくるような体験があり、美しい青春ラブストーリーが一切の躊躇も慈悲もなく奈落の底へと叩き落としてきます。
淡い青春、バイオレンスなアクション、胸を打つエピローグ、さまざまな感情の振幅に魂がぐちゃぐちゃにされる感覚を味わえる作品でした。