映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は監督のダニエル・クワンとダニエル・シャイナートによる”ダニエルズ”コンビが放つ、2023年アカデミー賞作品賞受賞作です。
2022年に公開され映画界に一陣の旋風を巻き起こした『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、まさに野心的な作品と言えるでしょう。それはアカデミー賞作品賞を含む7部門を受賞し、批評家と観客の双方から絶賛を浴びたこの映画は、マルチバース映画の新たな地平を切り開きました。
監督は『スイス・アーミー・マン』で見せた悪趣味なギャグセンスありを監督したダニエルズのメガフォンの下、平凡なコインランドリー経営者が無限の可能性と対峙する壮大な冒険譚として展開され、家族の絆、移民、そして己の存在の意味を問う哲学的テーマが、視覚的な狂騒と共にいろんな意味で心を揺さる作品となっていました。
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』アカデミー賞受賞一覧(第95回/2023年)
部門 | 受賞者・作品 |
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作品賞 | 『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 A24作品初の作品賞受賞 |
監督賞 | ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート |
主演女優賞 | ミシェル・ヨー(アジア系女優初の主演女優賞) |
助演男優賞 | キー・ホイ・クァン |
助演女優賞 | ジェイミー・リー・カーティス |
脚本賞(オリジナル脚本賞) | ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート |
編集賞 | ポール・ロジャース |
映像美と演出の妙技
映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」は中年女性エブリン(ミシェル・ヨー)を主人公に、マルチバース(多元宇宙)を舞台とした奇想天外な冒険と、母娘の和解を描いたです。そして圧倒的な情報量とパロディの嵐で観客を翻弄する作品となっていました。最終的には涙腺を刺激する展開だと思うのですが筆者は混乱の方が優っていましたね。
そして本作の最大の魅力は、その圧倒的な映像表現にあるでしょう。監督のダニエルズが創り上げた各パラレルワールドは、それぞれが独自の美学を持ち、観客を飽きさせることがありません。特に印象的だったのは、ホットドッグの指を持つ世界でのシュールな会話シーンです。言葉通りの展開で荒唐無稽であります。それを深い人間性への洞察があるともいえるシーンでしたね。

狂気と愛が同居する奇跡の作品
主演のミシェル・ヨーの演技は、本作の核となる素晴らしい仕上がりでした。メインの世界線ではコインランドリーの疲れた経営者から、世界線をわたりあるくにつれ、ときにはカンフーマスター、映画スター、そして愛に満ちた母親まで、無数の「自分」を演じ分ける彼女の表現力は圧巻でした。

他のマルチバース映画と比較すると、同年に公開された「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス 」や「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」が壮大なスペクタクルを重視するのに対し、本作は家族の絆という普遍的なテーマに根ざしている点が際立ちます。また移民体験や世代間の断絶といった現代的な課題により深く切り込んでいるとも言えるでしょう。
娘との関係に悩み、結婚生活も破綻寸前、おまけに経営するランドリーには税務署の監査が入るという八方塞がりの中年女性エブリンが、ある日突然マルチバースの世界へと誘われ、宇宙を滅ぼそうとする敵と戦うことになる――この設定を聞いただけで頭が混乱してしまう方も多いでしょう。実際、初見では物語を追うだけで精一杯になる観客も少なくないはずです。
しかし、この圧倒的な混沌こそが本作の最大の魅力なのです。ダニエルズが前作で見せた下品なユーモアは健在で、マルチバースへのジャンプに必要な「統計的にありえない行動」として、リップクリームを食べたり、嫌いな人に愛していると言ったり、最悪なのは指と指の間を紙で切るという設定には、劇場で思わず悲鳴を上げたくなります。
多層的なメタファーが織りなす物語の深み
本作の真の凄さは、マルチバースという設定が単なるSF的ガジェットに留まらず、現代社会が抱える様々な問題のメタファーとして機能している点にあります。
主人公エヴリンは何かひとつの物事を見ると様々なビジョンが頭に浮かんでしまい、それが複数のマルチバースを行き来する設定として昇華されています。これはダニエル・クワン監督自身のADHD体験が投影されているとのことでした。一般的にはハンディキャップと捉えられるADHDが、本作では宇宙を救うスーパーパワーとして描かれる逆転の発想は実に痛快です。
マルチバースをインターネット時代のメタファーとして捉えることもできます。2010年以降さまざまなSNSのサービスが多数存在し、そのサービスに多くの人が複数のアカウントを持ち、別の人格を演じていることでしょう。SNSで他人のアカウントを見て嫉妬し、時に絶望する――この構図は、悪役ジョイ・ワン・パッキーの設定そのものです。自分のちっぽけさに絶望し、世界を滅ぼそうとする彼女は、まさにデジタルネイティブ世代の影を象徴しています。

主演のミシェル・ヨーが語る「移民の感覚」としてのマルチバース解釈も印象的です。移民の親は常に「もっと良い選択ができたはず」という後悔を抱えて生きている――この言葉は、本作が単なるエンターテインメントを超えた普遍的なテーマを扱っていることを物語っています。
家族愛が収束する感動的な結末
壮大なマルチバースの冒険は、最終的に「半径1メートル範囲内の小さな家族の物語」に収束します。カート・ヴォネガット・ジュニアの思想「愛は負けても親切は勝つ」を体現するかのように、エブリンが学ぶのは目の前の人への優しさの大切さです。
特に感動的なのは、映画冒頭の「穴」のイメージが、ラストで家族の愛によって埋められる構成です。税務署の書類に開いた穴から始まった物語が、カラオケの丸い鏡に映る家族3人の姿で締めくくられる――この映像的な呼応は、本作の構成の巧妙さを物語っています。
ただし、本作は万人受けする作品ではありません。圧倒的な情報量とパロディの嵐、下品なギャグの連続は、観客を選ぶ要素でもあります。アカデミー賞作品賞としては異例とも言える実験性は、一部の観客には混乱をもたらすかもしれません。
まとめ――絶望的な時代に響く優しさの讃美歌
映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、現代の混沌とした時代に一つの答えなのかもしれません。インターネットによって無数の可能性を目の当たりにし、時に絶望してしまう私たちに向けて、「エブリシング」(すべて)ではなく「ユー」(あなた)が重要だと、静かに語りかけてくるのです。
エブリンが告げる「In another life, I would have really liked just doing laundry and taxes with you. (別の人生でも、あなたとただ洗濯をして、税金の申告をするのがよかった)」、そして「I will always, always want to be here with you. (いつだって、いつだって、あなたとここにいたい)」という言葉は、マルチバースという壮大な設定を通して描かれる、シンプルでありながらも心に響く言葉でした。手作りの温かみと大胆な実験精神が同居する本作は、映画というメディアの可能性を改めて感じさせてくれる稀有な作品と言えるでしょう。
作品を観ていると時に混乱し、時には下品にさえ感じられるものでした。しかし最終的には深く感動的な体験でした。そして観終わった後の心地よい疲労感すらも、この映画体験の一部として受け入れたくなる、そんな不思議な魅力を持った現代の傑作です。
一方で、本作にも万人ウケするものではないと思います。あまりにも多くの要素を詰め込んだ結果、一部のシーケンスでは散漫な印象を受ける瞬間があります。特に中盤のテンポの良さが、時として物語の感情的な重みを軽減してしまう場面も見受けられました。
そして哲学的なメッセージが強すぎるあまり、純粋なエンターテインメントとして楽しみたい観客には重く感じられる可能性もあります。しかし、これらの課題は作品の野心的な試みの副産物であるとも言える映画でした。