原作はスーザン・コリンズの全世界でシリーズ累計 7,000万部を突破したベストセラー・シリーズ。そんなベストセラー作が映画化されるとなり話題になったのが今作映画「ハンガー・ゲーム」です。
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サバイバルゲームはもちろんこのゲームのためにスポンサー集めや観衆へのアピール、営業活動などゲームの外での駆け引きおもしろい。
ただ醍醐味であるサバイバルゲームが正直退屈。ゲーム途中で突然のルール変更がありすぎ、ヤマがなく感動する場面がない。管理社会への疑問、富裕層と貧困層差別みたいなテーマ性も、全く感じない。
独裁国家と化した近未来アメリカが舞台
今作の舞台はパネムという名の独裁国家と化した近未来アメリカが舞台になります。キャピトルという首都が、いわゆる特権階級が住む地区で、反乱の抑止のためにそのキャピトルを囲む12の地区から、12歳~18歳の男女1名ずつが選出され、1名だけが生き残るサバイバルゲームを強制されている。というのが大まかな設定です。筆者はこの12歳~18歳にがつっこみどころ。いわば中学校に入ったばかりプレイヤーと大学生に入る年齢のプレイヤーが同じ舞台で戦うのは体力などでハンデがありすぎる。
一度選ばれそうになったカットニスの妹であるプリムが良い例で、プリムは12歳ぐらいだったはずでこの子と参加者の一人でケイトーではハンデがありすぎる気がしました。それを含めて理不尽なルールの中でどう生き抜くかという世界を描いているのかもしれません。
ゲーム開始までの盛り上げ方が非常に上手い
今作は実際にハンガー・ゲームが始まるまでに、映画が半分くらい進行した後になります。
それまでは主人公カットニスと同じ地区の選出者ピートが、かつてのゲームの勝者からアドバイスを受けたり、他の地区の選出者の紹介シーンがあったり、訓練シーンがあったり、選出者が幹部たちの審査を受けて1~12点までのスコアで採点されるシーンがあったりと、いろいろなシーンがあるのですが、ゲームが始まるまで視聴者を飽きさせず、ワクワク感を徐々に盛り上げていく演出がとても上手いなと思いました。
そして面白いのは、ゲームが始まる直前まではプレイヤーたちを豪華なホテルに宿泊させ、豪華な食事を与え、豪華な衣装を着せてまるで彼らをスターになったかのように錯覚させるところです。調子にのってスター気分になりゲーム開始前のインタビューに答えたりしているプレイヤーもいます。ただゲームがまさに始まろうという直前の、緊張感に満ちたプレイヤーたちの表情がとてもリアルに演出されています。
特に恐怖と緊張に震える主演のジェニファー・ローレンスの演技は見どころです。ジェニファー・ローレンスは今作だと童顔に見えますが、幼い妹のために何がなんでもサバイバルゲームを生き残る、という強い意志とたくましさをかんじさせる彼女の演技は本当に魅力的です。

殺し合いをテーマとしている割には映像が綺麗すぎる
この作品の年齢区分はPG-13(13歳以上)ですので、殺し合いをテーマとしている割には直接的な残虐描写はありません。サバイバルゲームなのにも関わらず、グループを結成して殺戮を楽しむ連中が命乞いをしている女性プレイヤーを殺すシーンも、実際に殺すシーンはカットされてしまいます。
つまりは殺し合いをテーマとしているにも関わらず、殺し合いの最も醜く汚い部分は描写されない、ということで、なんだか綺麗な映像に収まってしまっているという印象です。
比較すると生き残りを目指すサバイバルゲームものと言っていい、世界的に大ヒットしたNetflixオリジナルドラマの「イカゲーム」では、これでもかというほど人間の醜さ、汚さや裏切りが描かれていましたが、この作品のストーリーはそういう要素があまり描かれず、アメリカ人好みの感動や、支配、束縛からの解放、という側面に行きついてしまっている印象です。

映画「トゥルーマンショー」を思わせる「全てはエンタメのために」の世界
1998年公開の、ジム・キャリー主演のアメリカ映画「トゥルーマンショー」。
この映画は主人公が普通に生活しているものだと思っていたら、実はテレビのリアリティ番組で、24時間撮影され続けていた、という内容でした。この「ハンガーゲーム」も、番組を盛り上げるために主催者側が手段を選ばず様々な手段で介入してくる、という点で共通していると思いました。
「ハンガーゲーム」の主催者は、番組を盛り上げるために途中でルールを変更したり、コンピューターで猛獣を作り出して配置したり、とやりたい放題です。

王道なエンターテインメント映画
今作をまとめるとは全体的に、意外性のある展開というのがあまりない王道的なエンターテインメント映画という印象です。
「ひねりのない」というのは悪い意味ではなく、エンターテインメント映画のテンプレに乗っ取って、主人公のピンチや緊張感のある展開、友情、恋愛なども絡め、観る人を選ばず、誰もがきっちり楽しめる王道エンターテインメント映画、という印象でした。
エンターテインメントとして舞台となる人々の服装は、きわめて原始的な服装で暮らしをしている12地区の人々と比較して、文明が発展した都市に住むキャピトル市民は現代人の我々から見ると、本当に奇妙な外見をしています。

奇妙な髪型、赤、青、ピンクなどの奇抜なメイク、まつ毛を異様に長くしたり、など、とてもヘンテコです。
しかし考えてみると19世紀あたりの人間から現代のファッションを見るとやはりヘンテコに見えるはずで、キャピトル市民たちのこのヘンテコファンションは、近未来を正しく表現していると言えるのかもしれません。