映画『ハンガー・ゲーム0』は、2012年から公開された『ハンガー・ゲーム』シリーズの前日譚であり、後にパネムの独裁者となるコリオレーナス・スノーの若き日を描いた作品です。スノー大統領がどのようにしてあの冷酷な独裁者へと変貌を遂げたのか、その背景に隠されたドラマが明らかになるという点で、シリーズファンにとっては待望の一作と言える作品でした。
そして本作はハンガーゲームとしてのデスゲームとスノーがルーシーを探しいく2部構成のような映画でした。
若きスノーの苦悩と変貌の序章
映画『ハンガー・ゲーム0』は、スーザン・コリンズによる2020年の小説『The Ballad of Songbirds and Snakes』を原作とした映画です。これは、シリーズ第1作『The Hunger Games』(2008年)から64年前を舞台にした前日譚で、若き日のコリオラナス・スノーが初めて「10回目のハンガー・ゲーム」で指導者(メンター)を務める姿を描いています。
そして単なるシリーズの前日譚というだけでなく、パネムという世界の成り立ちと、その支配者であるコリオレーナス・スノーの人間性を深く掘り下げた作品でした。これまで『ハンガー・ゲーム』シリーズを観てきたファンにとって、スノー大統領はまさに「悪の象徴」であり、そして冷酷で非情な「権力の頂点」の「独裁者」として描かれてきました。しかし、本作では彼の若き日、理想と現実の間で苦悩し、葛藤する一人の青年としての姿が描かれています。
物語は、スノーが「教育係」として第10回ハンガー・ゲームに携わることから始まります。彼の担当は、第12地区から選ばれたルーシー・グレイ・ベアードという少女です。このルーシーとの出会いが、若きスノーの人生に大きな影響を与えていくことになります。スノーは彼女を勝利させるために駆け回り、その過程で自身の理想と、パネムという社会の現実、そして権力への欲望との間で揺れ動きます。トム・ブライスの演じる若きスノーは、時に人間的な弱さを見せながらも、目標達成のために手段を選ばない冷徹さを持ち合わせている点が印象的です。この二面性が、彼が後に独裁者となる伏線として巧みに描かれています。
アリーナでのゲームは古代ローマのコロッセオ
これまでの『ハンガー・ゲーム』シリーズのゲームは広い森の中で行われて凝った仕掛けが視聴者を沸かせていました。『ハンガー・ゲーム0』のゲームはまるでコロシアムで行われた剣闘士死闘のようでした。
これはまだゲームメーカーがそこまで洗練されてない時代だからこそ、アリーナも素朴というか、ある意味でより生々しい感じでした。ただコーンコピア(武器や食料が置かれる場所)もほとんど何もなかったり、空間自体もかなり狭かったと思います。それが逆に、まだ「見世物」として発展途上だった初期のハンガー・ゲームのリアリティを表現していたのかもしれません。
それでもゲームを盛り上げるためとはいえ、蛇を放ったりと、「え、それありなの?!」って思うような展開もありました。
純粋なサバイバルというよりは、まだ実験段階の「見世物」としての側面が強かったのかもしれません。その実験段階だからこそ、後の洗練されたゲームへと繋がっていく過程を描いている、という見方もできます。まだルールが固まっておらず、その場でどんどん変更されていく様子は、まさに「ハンガー・ゲーム」がどうやってあの残酷なシステムになっていったのか、その「原点」を見せてくれたんだな、と感じました。
言いたいのはハンガーゲームというデスゲームの時間が短い!
新しいゲームプレイヤーとしてのヒロインの歌声と力強さ
ルーシー・グレイ(レイチェル・ゼグラー)という新たなヒロインの魅力は、彼女が単なる「助けられる少女」ではない点にあります。彼女は、第12地区の放浪する音楽集団「コヴィー」の一員であり、その歌声は人々の心を惹きつけ、物語全体に詩的な彩りを与えます。彼女がときおりアリーナで歌い上げる歌は、音楽という娯楽としてだけでなく、パネム社会への抵抗や、自由への希求を象徴する役割も果たしていました。

そしてルーシーの魅力は、歌声だけではなくハンガーゲームが行われたアリーナという極限状況下においても、彼女は常に冷静さを保ち、持ち前の知恵と歌を武器にして生き残ろうおいう強靭な精神力にも表れています。特に彼女が歌うことで他の貢物や観客の感情を揺さぶる様子は、音楽の持つ力と影響力を改めて認識させられます。彼女は、スノーの指導を受けながらも、決して彼の言いなりになることなく、自分自身の信念と感情に基づいて行動します。この自立した姿勢が、若きスノーの心を深く揺さぶることになります。彼女の存在は、スノーの人間性や共感を引き出し、彼が本当に望むものは何かを問いかけていきました。しかし、同時に、彼女の存在はスノーが自身の野望を達成するために乗り越えなければならない「障害」としても機能し、彼の冷酷さを加速させるきっかけともなるのです。
スノー大統領の内面と闇落ち
スノーはルーシーの教育係となりゲームに参加することで心の変化を促す重要な役割を果たし、二人の関係性の変化が物語の大きな転換点となります。そして特にルーシーの裏切り(あるいはそう解釈されうる行動)は、スノーの「闇堕ち」を決定づける要因の一つとして描かれ、その影響は後のシリーズ全体に及ぶことになります。

ただ本作の主人公がコリオレーナス・スノーと「コリオレーナス」という名を冠するならば、シェイクスピアの悲劇『コリオレーナス』との関連性も考察されるべきでしょう。ローマの英雄コリオレーナスが、要求ばかりで自ら命を掛けない市民たちを身勝手な厄介者と見なし、民衆への失望から破滅に向かうという民主主義批判の物語です。それは民衆に対するある種の軽蔑といった共通の性格的特徴をみてとれました。また社会や政治的状況における彼らの役割、そしてその運命が対比されることで、より深いテーマが浮かび上がるように設定されているのかもしれません。
シェイクスピア悲劇『コリオレーナス』
ウィリアム・シェイクスピアの『コリオレーナス』は、古代ローマの伝説的将軍、ガイウス・マルキウス・コリオレーナスの悲劇を描きます。彼は戦場で輝かしい武勲を立て「コリオレーナス」の異名を得ますが、傲慢で平民を軽蔑する性格が災いし、故郷ローマを追放されてしまいます。
復讐心に燃えるコリオレーナスは、かつての敵に身を寄せローマへと進軍。しかし、母の必死の説得に心動かされ、攻撃を中止します。この決断が裏切りとみなされ、最終的に彼は命を落とすのです。英雄の光と影、政治と人間の業が深く描かれた物語です。
もしスノーが、コリオレーナスのように革命のリーダーとして民衆を導きながら、その民衆の身勝手さや欲望にうんざりし、「結局、独裁者のやり方が正しいんだ」と考えるようになるとしたら、どうでしょう? これって一つの可能性なのかもしれません。
もし、ポピュリズム(大衆迎合主義)を否定するような確固たる哲学が彼の内側に生まれたとしたら、ハンガーゲームという殺し合いの正当性がより深く、重く描かれるのではないでしょうか。
そう考えると、ハンガー・ゲームは単に愚かな民衆を縛るための恐怖政治だけではなく、支配者たちへの「このままでは安寧は続かないぞ」という警告のような意味も持っていたのかもしれませんね。

まとめ:シリーズ未見でも大丈夫!一人の青年が直面する権力と脆さ
映画『ハンガー・ゲーム0』は、『ハンガー・ゲーム』シリーズのファンはもちろんのこと、シリーズ未視聴者の方でも一人の青年の成長と変貌、そして社会の不条理を描いた人間ドラマとして十分に楽しめる作品です。シリーズのファンは若き日のスノー大統領の苦悩と選択、ルーシー・グレイという新たなヒロインの魅力、そしてシリーズ全体へと繋がる深い繋がりが感じられる作品でした。
特に、本作を通じてのちのスノー大統領の行動の理由や、彼が背負う過去の重みを理解することで、これまでの『ハンガー・ゲーム』シリーズの物語がもっと多角的に考えられます。
単なるエンターテインメントとしてだけでなく、権力、選択、そして人間性の脆さといった普遍的なテーマを深く掘り下げた本作は、多くの示唆を与えます。ぜひ、この作品を鑑賞してハンガー・ゲームの世界の新たな一面を感じ取ってみてください。