映画『ザリガニの鳴くところ』は、デリア・オーエンズによる同名小説の映画化作品です。原作は2019年から2020年にかけてアメリカで最も売れた小説となり、日本でも2021年本屋大賞翻訳小説部門第1位を受賞するなど、世界的な話題作となりました。

- タイトル
- ザリガニの鳴くところ (ハヤカワ文庫NV)
さらに注目すべきは、世界的スーパースター、テイラー・スウィフトが楽曲を書き下ろしたことです。彼女は原作の熱烈なファンで、自ら懇願して主題歌を手がけたといいます。リース・ウィザースプーンがプロデュースを務めるなど、ハリウッドでも話題の企画として注目を集めました。
湿地が織りなす美しき世界観
映画「ザリガニの鳴くところ」の最大の魅力は、なんといってもノースカロライナ州の湿地帯を舞台にした圧倒的な自然描写です。1950年代から60年代の南部アメリカの風景が、まるで絵画のような美しさで映し出されます。
主人公カイアが暮らす小さな家と、それを取り囲む雄大な自然。朝もやに包まれた水面、夕日に金色に染まる湿地、そこに生きる様々な生き物たち。これらの映像は、活字では想像しきれなかった世界にリアリティを与え、観客を物語の世界へと引き込みます。
監督オリヴィア・ニューマンと撮影監督ポリー・モーガンが創り上げた映像美は、それだけでも一見の価値があるといえるでしょう。

オリヴィア・ニューマン監督の手腕
本作でメガホンを取ったオリヴィア・ニューマン監督は、『Beasts of the Southern Wild』の脚本を手がけたルーシー・アリバーと組んで、原作の世界観を丁寧に映像化しています。ニューマン監督は、湿地という特殊な環境での撮影について、自然の美しさと同時に、そこで一人生き抜く少女の過酷さを表現することに注力したといいます。
特に時系列を巧みに使い分けた演出により、法廷での緊迫した現在と、美しくも辛い過去の記憶を効果的に対比させています。監督は「この物語の核心は、一人の女性がいかに強く生きたかということ」と語っており、その思いが映像の随所に表れています。
デイジー・エドガー・ジョーンズが魅せる圧巻の演技と心理描写
本作は、1969年の殺人事件とその容疑者となったカイアの法廷シーンと、彼女の幼少期から青年期までの回想を交互に描く構成を取っています。この時系列の使い分けが実に巧妙で、その中心にいるのが主人公カイア役のデイジー・エドガー・ジョーンズの見事な演技です。
6歳で家族に見捨てられ、一人で湿地で生き抜いてきた女性の強さと脆さを、彼女は圧倒的な説得力で表現しています。法廷での緊迫した状況と、過去の美しい恋愛体験や壮絶な体験が対比される中で、エドガー・ジョーンズは内気でありながら芯の強い女性としてのカイアを魅力的に演じています。
特に印象的なのは失恋シーンでの演技で、怒りと悲しみが入り混じった複雑な感情を、表情だけで雄弁に物語ります。カイアの心の声によるナレーションも自然に物語に溶け込み、孤独な少女の心境を繊細に表現していました。
また、幼少期のカイアを演じたジョジョ・レジーナも素晴らしく、成長後のエドガー・ジョーンズとの違和感のない移り変わりは、アメリカ映画のキャスティングの巧みさを感じさせます。
時系列構成とミステリーが織りなす感動の仲間集結
本作は表面的にはミステリー映画として構成されていますが、真の魅力は裁判を通してカイアの成長と、彼女を支える人々の絆がメインとなります。ネタバレになるので省きますが犯人は比較的予想しやすく、「衝撃の結末」というほどの驚きはありません。ただこれは一人の女性の生き様を描いた人間ドラマとして見るべき作品なのです。
そして最も感動的なのは、孤独に生きてきたカイアの周りに、いつの間にか彼女を支える「仲間」が集まっているという発見です。雑貨屋を営む黒人夫婦のジャンピンとメイベルは、幼い頃からカイアを娘のように愛し、物心両面で支え続けます。特にメイベルの母性に溢れる演技は、観客の涙を誘います。
そして何より印象的なのが、デイビッド・ストラザーン演じる弁護士の存在です。引退していた彼が、なぜカイアのために立ち上がったのか。それは、子供の頃に困窮するカイアを見かけながら何もしなかった自分への罪悪感からでした。法廷での最終弁論は、単なる無罪獲得ではなく、差別と偏見に満ちた社会への痛烈な問いかけとなっています。

証拠不十分な状況での裁判が進む中で、これまで「湿地の娘」として疎まれてきたカイアが、実は多くの人々に愛され、支えられていたことが明らかになります。この構成の巧みさこそが、本作最大の魅力といえるでしょう。
原作ファンも納得の映像化
原作からのファンは「原作に忠実な映像化」と評価が多数見受けられました。それほど本作は小説の世界観を丁寧に映像化しています。ストーリーの時系列や省略箇所、オリジナルシーンの追加なども適切で、原作の持つ自然描写、恋愛要素、社会派的側面のバランスを保っています。
Rotten Tomatoesでは観客スコア95%に対し批評家スコア36%という大きな開きを見せ、特に原作ファンからの支持が圧倒的でした。
原作ファンからの絶賛の声を抜粋:
- 「この映画は原作の素晴らしさを忠実に再現している。撮影の美しさは息をのむほどで、カイアの視点を通したすべての描写が完璧に表現されている。デイジー・エドガー・ジョーンズとデイビッド・ストラザーンはオスカーノミネートに値する演技だ」
- 「映画は非常に良くできているが、原作ほどではない。ただし、これは珍しいことではない。カイアが湿地で動物や昆虫、鳥たちから学ぶ様子をもっと見たかった」
- 「本を愛した人なら、必ずこの映画も愛するだろう。テイラー・スウィフトのエンドソングまでが、あなたを湿地の世界へと誘い込む。これこそ映画の作り方だ」
興行的にも大成功を収め、2400万ドルの製作費に対し4倍の興行収入を記録。これは「ハリウッドが成功すると思うものと、実際に成功するものは必ずしも同じではない」という好例として注目されました。
特に、カイアが自然から学んだ知識を活かして生きていく様子や、彼女の描いた美しいイラストなど、映像でしか表現できない要素が効果的に使われています。動物行動学者である原作者の知識を活かし、湿地に生きる動物の習性を通して人間の本質を語る手法も、映画では効果的に映像化されています。
まとめ:自然と共に生きる強さと美しさ
映画『ザリガニの鳴くところ』は、表面的にはミステリー映画として宣伝されていますが、実際は一人の女性の波乱に満ちた人生を描いた感動的なヒューマンドラマです。家族に見捨てられ、社会から疎外されながらも、自然の中で逞しく生き抜いた女性の物語は、現代を生きる私たちにも多くのことを考えさせてくれます。
美しい湿地の映像と優れた演技陣、そして心に響く音楽。これらすべてが調和して、観終わった後に静かな余韻を残す作品に仕上がっています。特に女性の観客には強く響く作品として、秋の夜長にゆっくりと鑑賞していただきたい一作です。
ザリガニは実際には鳴きません。しかし、この映画を見終わった後、あなたにも「ザリガニの鳴くところ」が見つかるかもしれません。それは、誰にも邪魔されない、自分だけの安全な場所のことなのです。